※この作品は、ノンフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、いっさい関係あります。ただし、名前だけは仮名です。
時々、歌声を褒められる事がある。そして「子供の頃に合唱部に入っていたのか」と、いつものように質問される。
とんでもない。正直なところ、私の歌声は、音楽を専門にやっている人にしてみたら、きっとまだまだ努力が必要なレベルだろう。そう自分では考えている。音程の忠実さ。はきはきとした発声。安定した声の持続。適切な息継ぎ。こういった基本的な事ですら、今なお努力課題である。
クラシックではなく大衆音楽にしても、やはり努力が必要だ。ロックらしい歌い方は、まだまだ苦手だし、演歌にしたってコブシとかメリハリの付け方など、まだまだ初心者もいいところだ。
でも、私が子供の頃に合唱部に全く入っていない事を告げると、それは意外だ、という反応が大抵返ってくる。
しかし、私は本当に子供の頃に合唱部に入った事がない。とは言え、合唱そのものには興味がないわけではなく、むしろ大いに興味があった。だが、小学4年生の時に起きたある事件がきっかけとなって、合唱部に入る事がしばらく大きなトラウマとなり続けたのである。
突然一人だけ強制参加命令!
それは忘れもしない1984年。場所は千葉県木更津市のとある小学校。ある日の午後、教室で帰りの会が開かれていた。
「今日の放課後、合唱部のオーディションがあります。入部したい人は音楽室に集まってください」。担任のY先生―20代の若い女の先生で、まだ結婚してないそうだ―は、皆にそう告げた。
自分は歌は好きな方だけど、合唱部に入ってステージの上で歌声を披露するなんて、そんな事は全く想像のうちになかった。他人事のように聞き流そうとすると、Y先生の次の一言が、自分を否応にも合唱部の“土俵”へと引きずり込んだ。
「それから、押井君も合唱部に入るので、音楽室に来てください。わかりましたか」。
寝耳に水、とは、まさにこの事だった。合唱部は強制参加ではなく、希望者だけが任意に参加するものと決まっていたから。「合唱部に入って欲しいので、来てくれませんか?」と来たなら、あるいは考え直したかもしれない。しかし、このY先生の口調からすると、自分が合唱部に「入る」と勝手に決め付けて、どうやら無理矢理入部させようとたくらんでいるようだ。
“ざわ‥”“ざわざわ‥”いつもぼうっとしているボケキャラの自分でさえ、この教室のただならぬ雰囲気ばかりは、さすがにはっきりと感じ取れた。
それでも自分ははっきりと否定の返事をしたのだが、Y先生の返事はこうだった。「それでは、放課後、押井君を音楽室に連れていってあげてください」。Y先生は女子2、3人を指すと、このような指示を出した。
まさに、背筋が凍るような思いだった。Y先生は、とんでもない事をたくらんでいる!
音の国への拉致工作!
帰りの会の結びの「さようなら」が終わるや否や、自分は一目散に教室を出て行った。
「あっ!逃げた!」続いて、Y先生と5、6人の女子が、そのすぐ後を追い始めた。
まるで、ウサギ狩りだった。必死になって廊下や階段を駆けていき、昇降口を目指したが、追っ手はそれ以上の駆け足で追いかけていく。とうとう、途中で追っ手に捕まってしまった。
二人に両手を捕まえられ、音楽室の方向へと引きずられていく。自分は、残された足で必死にふんばり、両手をふりほどこうとする。やっとの思いでふりほどく事に成功すると、また逃げ出した。
「また逃げたっ!」またもや追っ手は迫ってきた。とうとうまた捕まってしまうと、今度は両手を拘束するだけでは不十分と考えたのだろう、両足までも5、6人がかりで押さえつけて、仰向けの状態でひきずられていった。
「離せー!」と叫びながら必死に手足をふりほどこうとしたり、足が少しでも地面に着くとふんばろうとしても、今度こそは、いくら相手が女子とは言え、こんな大人数では多勢に無勢だった。
Y先生も追っ手の女子たちも、ようやく狙った“獲物”が捕まったので、にやにや笑いを顔に浮かべながら、うれしそうに、ばたばた暴れて泣き叫ぶ“獲物”を音楽室へと運んでいった。
逃がさない!
ふと気付くと、悔しくて悔しくて、涙が次から次へとあふれ出していた。
Y先生に合唱部への入部を勝手に決められたのには非常に腹が立ったけど、その野望を成し遂げるためには、自分を大人数で捕まえて拉致する事までいとわないという、気違い地味た執念深さは、もっと気味が悪かったし、なおさら腹の立つ事だった。
加えて、相手は大人数だったとは言え、男なのに女に負けた自分が悔しかった。女に追いつかれて女に捕まって、しまいには捕らえられた獣のように廊下を引きずられて運ばれていくという敗北が、あまりにも屈辱的だった。
入口の方に目をやると、近くにはY先生がいた。「逃がさない!」先生の目はそう語っていた。加えて、自分を捕まえた女子達―オーディション参加者でもある―が、また逃がしはしないぞと、たくさんの目でしっかり見張っていた。そういえば、オーディション参加者は女子だらけ。男子はほとんどいなかった。
しばらくすると、合唱部入部希望者への説明が始まった。Y先生よりずっと年上の、W先生。自分は直接習った事はないが、見るからに、一見厳しそうな中にも、まるで母親のようなやさしさが顔に感じられ、また今の素晴らしい歌声を聴かせてくれる合唱部をしっかり指導している、素晴らしい指導力を、子供ながらも常々感じていた。
自分としては、W先生に合唱を教わることができたなら、確かにうれしい事だった。しかし、今回ばかりは事情が違った。Y先生が自分に一言も相談する事なく、突然拉致して無理矢理オーディションを受けさせるというやり方は、絶対に間違っている、と思ったし、それを明らかにするためにも、少なくとも今回は絶対に妥協して合唱部に入ったりすべきではない、と考えた。
それはともかくとしても、W先生のにこやかな顔を見ると、これまで大勢の女子達と格闘して気が立っていた私も、何だか心が少しだけ落ち着きを取り戻し始めていた。それに、「どうせ、オーディションが終わるまでもう逃げられないのだから、受けるだけは受けて、後でW先生とY先生に断ろう」、と考え始めていた。とは言え、どうやって断ろうか、までは気が回っていなかったし、子供の私には、大人を説得できるだけの文句を考える事は、すごく難しい事だった。
W先生は、合唱部は半端な気持ちではなくて真剣にやりたい人だけ入って欲しい、そして放課後や土日の練習や発表会もあるので参加できる事が条件、その条件にあてはまらない人は帰ってもいい、と説明した。私は、確かに合唱は好きだけど、今回の事もあったので、このまま合唱部に入るのだけは勘弁したかった。それに、自分は家の仕事の都合で、家の手伝いをはじめ、他にもいろいろやらなければならない事があって、練習にすべて出られるかどうかも不安要素だった。
振り返って出口のドアに目を向けようとした瞬間、その近くにいたY先生と目が合った。「帰っちゃダメです!」先生の目はそう語っていた。
今思えば、その瞬間は、逃げようとする絶好のタイミングだったかもしれない。仮にY先生と取り巻きの女子達がまたもや“獲物”を音楽室に連れ戻す事になったとしても、今度はW先生がそのやり方を問題視してくれて、Y先生を叱ってくれていたかもしれない。
でも、自分はあえてその行動を起こさなかった。半ばあきらめていたというのが大きな理由の一つだが、それに加えて、せっかくオーディションが始まるというのに、空気を大きく乱してしまっては、他のクラスの参加者やW先生にも迷惑をかけてしまう、という思いも、きっとあったかもしれない。
独りぼっちの小さな花
W先生のピアノ伴奏に合わせて、ダーク・ダックスの歌で有名(と後に知った。当時はフォークソング世代の先生が多かったので、音楽の授業ではフォークソングがよく歌われていた)な「花のメルヘン」を歌う。これが、テスト内容だった。
とうとう、自分の番が回ってきた。隣には、Y先生も付いてきた。顔も目も真っ赤にして、これまでずっと泣いてました、と言わんばかりの、ぐちゃぐちゃな顔を見て、W先生はY先生に尋ねた。「合唱部に入りなさいって言ったら、べそかいてるんですよ」。Y先生はけろりと答えた。
どうやら、W先生の様子からすると、この子は無理矢理オーディションに連れてこられたのだ、という事を、薄々感づいていたのだろう。でも、とにかくオーディションだけは受ける事になった。「わざと下手に歌ったりしたら、承知しないからね!」Y先生は耳元でそう囁いた。
「昔むかし……」泣きぐせがようやく収まり始めたボーイソプラノで、どうにか最後まで歌い終わると、ようやく自分の番が終わった。
長い長いオーディションが終わった。結果は後日連絡するとのことだった。
合唱は好きだけど、合唱部には入らない
その日の夕方、すっかりしょげ返っていた私を見て、両親は何事かと思ったらしい。事情を私から聞くと、これはひどいと言った。このままいけば、明日にでも先生に抗議しに行っていたかもしれない。
ところが、しばらく経つと、家へ電話がかかってきた。電話を取ったのは母。Y先生からだった。
結論からいうと、オーディションの結果は合格。でも、本人はどうやら嫌がっているらしいので、どうしましょうか、という確認の電話らしかった。
遅い! 遅過ぎる! そんなに特定の児童を合唱部に入れたいのなら、本人への相談とか保護者への根回しを前日までに済ませるのが道理というのに、当日になって、心の準備もできてない子供をいきなり拉致して無理矢理オーディションを受けさせて、今日はすみませんって事後承諾で済ませるつもりか!
とは言え、「この子を入れれば本人のためになるかもしれないし、合唱部の戦力にもなるかもしれない」と、動機そのものは良かったのかもしれないし、事後とは言え一応保護者に確認の電話を入れただけでも、良心は少しでも残っていたと信じたい。
もしかしたら母も、本当はY先生に食って掛かって怒りたい気持ちで一杯だったかもしれない。でもその気持ちを押し殺して、丁寧な口調で事情を説明して、合唱部への入部を断ってくれた。今考えると、その時の母の対応は、本当に人間的にできていた。
結局、合唱部には入部する事なく、4年生が終わった。5年生になり、Y先生はもう学校からいなくなっていたが、あのトラウマはしばらく残り続けた。結局、学校にいる間は合唱部なるものには一度も入ることなく、学校生活は終わってしまった。
自分は学校の授業での合唱は好きな方だったけれども、「合唱部」なるものには入部しなかったし、声楽家としての道も進まなかった。確かにそれも一つの道だったかもしれないが、その道に進まなかったことは後悔していない。自分にはもっとやりたい事が昔からあったからだ。コンピュータ技術を研究し、それを活かして人々の生活を豊かにしたい、という夢があった。
それに、本業でなくとも、歌を歌うことは楽しめる。それも、身近な人だけにとどまらず、インターネットの向こうにいる大勢の人や、合成音声ロボットたちとも一緒に歌えるなんて、子供の頃には思いもしなかった夢のような時代がやってきたのだ。
質問箱
Q.こういう事をする教師って、問題にならなかったんですか?
A.なりません。(きっぱり) どうしてですか?
Q.大袈裟に描き過ぎです。
A.子供視点なので、大人視点よりも恐怖が誇張されるのは仕方ありません。Teacher's Sideもご覧ください。二つで一組の作品です。