ファッション雑誌の盲信という罠

 私は学生時代、かの有名な男性ファッション雑誌「MEN'S CLUB」を時々読んでいたのを思い出す。「ポパイ」や「ホットドッグプレス」よりも硬派で、アイビールックに代表される、トラッドなスタイルを推奨するような雰囲気の雑誌であった。

 とは言っても、何だか読むのが無駄な気もしつつ読んでいた記憶がある。何しろ、せっかく読んでも、そこに紹介されている服なんて一着ン万円もするのだから、ホイホイと気軽に買うわけにもいかず、写真の中の格好良い服をよだれを垂らして見るくらいが関の山だった。また、自分は女にモテモテのプレイボーイ(死語?)に変身したいなんて気持ちはさらさら無かったし、女にモテるためという不純な動機(失礼)でファッションを選ぶつもりは無かったから、“上手に女遊びできてこそオトコ、そうでない男はオトコに非ず”と言わんばかりの「ホットドッグプレス」なんかを読むのは余計に無駄な気がしていた。
 当時の私は、ファッション雑誌で紹介されている服装こそ、世間一般に受け入れられる理想の服装だと思い込んでいた節がある。どうせ自分はそんな高い服を買えないし、その理想に到達できないのだから、私はファッションの落伍者を宣告されたも同然だ。ファッションを深く追求するなんて自分にとって空しいと思い、結局「MEN'S CLUB」を読むのを止めてしまった。とは言っても、ズボラが良いとも思っていなかった。そこそこダサくなく、突飛過ぎず、清潔な服を選ぶ事は大事だと思ってきたし、それが昔も今も変わらぬ私のポリシーである。

 今改めて思うのだが、ファッション雑誌とは、モデルの服装を一から十までまるごと猿真似するためのお手本では無い。そんな事をしたって、モデルと自分とでは顔の形も体型も違うのだから、下手に真似をしてもかえってダサくなる危険がある。茶髪も長いヒゲも、こまめな手入れあってこそ格好が付くのであって、そんな暇がなければ黒髪のまま、ヒゲも毎日そる方がよっぽど良い。高い服だって、全部コーディネートできてこそであり、たとえば上半身だけ金をかけてあとはチグハグでは、もう見ていられない。

 結局、ファッション雑誌とは、飽くまでもヒントに過ぎないのだ。全部真似をするのではなくて、良いところだけつまみ食いして取り入れれば良いし、高級ブランド服が買えなくとも、予算の範囲でベストな服を上手に買えば良い。全部を鵜呑みにせず、時にはファッション雑誌の謳う“常識”を疑うことも必要だ。それを悟った時、ようやく気が楽になった。とは言え、時々、自分のファッションセンスは鈍ってきているのではないだろうか、自分がダサくないと思っているこの格好が本当は世間一般ではダサかったらどうしよう、と思い切り不安に駆られることがある。ファッションマニアが後ろ指さしてるんじゃないかという強迫観念に捕らえられることがある。確かに、時々は他人の意見も聞くのは大事かもしれない……と言いたいところだが、その相手のセンスもまたずれていたらと思うと、また不安に駆られてしまうものだ。だから、できるだけ沢山の人に聞いてみるのが良いだろうか。あとは財布とも相談しながら、しかし最終的には自分に合ったスタイルを築いていきたいものだ。