“メイドさんブーム”考

 メイドさんを題材にした漫画やアニメやゲーム、メイドさんのエプロンドレスを模した制服で給仕する「メイド喫茶」、最近はメイドさんと執事に扮して作業する出張クリーニングサービスまで登場している。世ではこれを“メイドさんブーム”と呼ぶようだ。つまり、メイドさんという存在に対する憧れの気持ちが、漫画や喫茶店の制服などといった形で表れており、それが人気を博しているのだ。

 しかしこの様子を“わからん、メイドさんのどこが良いんだろう”と首を傾げながら見ている人も多いだろう。そこで早速、この秘密を解き明かすことにしよう。

 あらかじめ断っておくが、私は、いわゆる“メイドさん”ものの作品とか“メイド喫茶”の類は、どれも良いものばかりと、盲目的に賛成するつもりはない。後にも述べるが、当然ながら、取捨選択する必要があるだろう。

 まず、“メイドさん”のどこに憧れるかと聞くならば、恐らく十人に聞いて十人とも違った答えが返ってくるだろう。代表的なものを挙げてみる。

  1. 西欧趣味
  2. 豪邸暮らしへの憧れ
  3. メイドさんのいた昔の時代への興味、レトロ趣味
  4. 服装のクラシックな可愛らしさ
  5. 服装の上品さ、清純さ、ストイックさ
  6. けなげに働く姿へのいじらしさ
  7. hospitality(もてなしの精神)の美しさ
  8. 主人への忠誠(自分に尽くしてくれたり、何でも自分の言う事を従順に聞いてくれたりする存在)
  9. 主人と使用人の許されざる恋というシチュエーション
  10. 清純さのタブーを侵す背徳感

 まず、メイドさんにまつわる背景であるが、メイドさんブームのメイドさんとは単なるメイドさんではなくて、“19世紀の英国のメイドさん”のことか、あるいはそれをベースにしたものである。今の日本の女中さんや家政婦や仲居さんでもなく、「トムとジェリー」に出てくる「足だけおばさん(Mammy-Two-Shoes)」みたいな黒人のメイドさんでもなく、19世紀の英国のメイドさんみたいなのでなくては駄目なのだ。つまり多分に西欧趣味的な要素を持っている。考えてみると、たとえメイドさんに魅力を感じない人であっても、本で読んだり映画やアニメでしか見た事がないような、クラシックな豪邸での暮らしを一日でもいいからしてみたいと憧れる人は少なくないのではないだろうか。

 服装の可愛らしさも、多くの人が挙げるポイントである。あのメイドさんの服装はよそ行きのドレスではなく、あくまでも家事を行う時の作業着だ。しかし日本のお掃除おばちゃんの実用一点張りの作業着とはまるっきり違って、ちょっと可愛らしさも兼ね備える作業着であるところが、何とも粋である。そして来客応対にも決して恥ずかしくない上品なデザインであり、かつては喫茶店やレストランのウェイトレスの制服も、19世紀の英国のメイドさんの制服に似たものが多かった。最近流行りの“メイド喫茶”の制服というものは、(正統派メイド服に限って言うなら)何も真新しいものではなく、ある意味懐古趣味、喫茶店の原点回帰と言えよう。実際のところ、メイド喫茶”のウェイトレスは金の為というよりも、メイド服そのものへの憧れや、その扮装をみんなに披露できる楽しさの為に働いている人が案外多い。

 服装の上品さ、清純さも魅力の一つと言えるかもしれない。元々の正統派メイド服は、婦人の慎みというものを正に服装で表現したかのようなロングスカートである。日本でいうなら着物の魅力に近い部分があるかもしれない。フェミニストはどちらも「女性を束縛する服装」みたいにレッテル貼りするかもしれないが、「盆栽」や「日本舞踊」みたいな、自由奔放の美とは対極を成す、伝統と様式という決まった型の中で花咲く美というものが有ってもよいではないか。そんな考えはダサいと言われ、忘れ去られようとしている世の中だからこそ、貴重に思われてくるものである。

 ここでついでながら、“メイド喫茶”によっては、クラシックなメイドさんスタイルではなくて、まるで80年代カワイコちゃんアイドルのドレスにフリフリエプロンを付けたみたいな感じの服を“メイド服”と称していることがあるが、厳密に言うなら、こんなのメイド服なんて言わない(俗に「似非メイド服」とも言われる)。まあ別物と割り切ればいいだろうし、“ミニスカートなどスカートと呼んじゃいけない、あんなの只の布切れだ。南の島の原住民の腰ミノの方がよっぽどマシだ”とまで言う気はないが、メイド服というものはあくまでもお屋敷としての品位ある作業服であり、お屋敷中に色気を振りまくコスチュームじゃあない。もしこんな服装のメイドさんがお屋敷にいたら、ちょうど修道院のシスターの服装がふりふりミニスカートだったり、高校の制服が普通のセーラー服ではなくてセーラームーンだったりするのと同じくらい、とても場違いな光景である。

 メイドさんがけなげに働く姿を美しいと感じる人も多いだろう。昨今の行き過ぎたフェミニズムの反動を感じるのは私だけだろうか。フェミニストは往々にして専業主婦を迫害し、キャリアウーマンとしての労働を尊く、家事労働をそれに比べて卑しいものとみなす傾向に走りがちである。しかしその考えは正しくない。家事労働は外での仕事と同じくらい、あるいはそれ以上に尊く美しいものである。フェミニズムは伝統的な“女性らしさ”の美をあざ笑い、女性の精神を男性化させようと躍起になっているが、その試みが完全に成功することはないだろう。幼い女の子は未だにお絵描きというと西洋風のドレスのお姫様を描きそれに憧れ、人はメイドさんブームから「家事労働をする婦人の美しさ」というものを再発見しつつある。

 もてなしの精神の美しさだが、簡単に言うなら、看護婦への憧れと共通する部分があるだろう。興味深いことに、「お世話したい」と感じる人もいれば、「お世話される」ことに憧れる人もいる。将来なりたい職業に「看護婦さん」や「ウェイトレスさん」や「保育園の保母さん」や「お母さん」を挙げるような女の子は典型的な前者のタイプである。

 さて、最後の三つは、正統派メイドさん原理主義者?の私個人の考えとしては「邪道」である。確かに目上の人に従うことは美徳であり、職務に忠実なのは立派なことである。そういう立派な性格に憧れるというのは良い。しかし、メイドさんは主人のオモチャじゃない。そもそも、昔のお屋敷では旦那様が直接下っ端のメイドに仕事を指図するのではなくて、女主人が指図するのが普通だったようだ。押しかけ女房よろしく突然男の子のもとに押しかけて「ご主人様ぁ」と甘ったれ声で呼びかけながら身の回りのお世話をしたり、ご主人様に言い寄って恋仲になったりとか、“メイドさん”ものの漫画の中にはそんな大層都合の良い展開の作品も少なからずあるが、これはあくまでも創作、萌えアニメおたく向けのアレンジである。メイドさんの本来の姿はそんなものじゃない(森薫先生のウェブサイトの「こんなメイドさんイヤだシリーズ」を参照)。

 とは言え、そういうメイドさんキャラクターに恋心を抱く人がいるのも、決して理解できないことではない。それも十人十色、いろんな動機があるだろうが、その一つとして、恐らく“メイドさん”は“汚れ無き乙女”の象徴なのではないだろうか。かつてはその“汚れ無き乙女”の象徴という役割は、昔の青春映画みたいに“セーラー服”によって表されることがむしろ多かったが、いかがわしい業界でさんざん誤用されたり、現役中高生自体の道徳の退廃が社会問題となった今では、そのかつての栄光もすっかり地に堕ちてしまっている。その点、“メイドさん”は、もはや過去の存在であるから、自分の憧れの女性(マドンナ)像に合わせて想像の翼を広げることができるのかもしれない。

 このように、一口に“メイドさん”への憧れと言っても、実に様々な要素があることがおわかりいただけただろう。その上で、この憧れを、“メイドさん”ものの漫画を描いたり、メイドさんの扮装という方法で表現する人がいれば、“あの憧れのメイドさん”がいる喫茶店が流行ったりという昨今のブームがあるというわけである。“メイドさん”は“自分の言いなりにできる主人に忠実な存在”として男の征服欲を満たす存在だから流行るのだ、とか、それが証拠に“メイドさん”もの作品なんて、“変態の主人がお屋敷にメイドを囲って、主従関係をいい事に夜な夜なおしおきをする、の類”の作品ばかりだ、などと簡単に結論を出してしまう人もあるが、これは飽くまでも一部に関してであり、真実の半分しか伝えていない。そもそも後者については、おたく向け萌え漫画&アニメの世界でさえ、その種の方向性の作品は一部に過ぎず、むしろ「主人公のもとに突然、自分に忠誠を誓うメイドさんが転がり込んでくるが、自分の目下であるはずのメイドさんに主人公が逆に翻弄される」の類のラブコメが意外にも多いものである。さらに最近は森薫先生の漫画の影響とか、一部女性の間のロリータファッションブームもあって、正統派メイドさんの世界を上品に味わうというスタイルも特に女性を中心に段々流行りつつある。

 “メイドさんブーム”は韓流ブームと並び、昨今の日本の社会現象として、結構奥の深いテーマであるから、もし興味のある方はもっと深く調べて、社会学の論文の題材にしてみるのも良いかもしれない。

参考リンク