“おたく”はいじめのフリーパス

command770 人生を棒に振るほどには趣味が高じてはいない薄い人間にはオタクを名乗る資格は無いと断言。真っ当な人生歩めて趣味と生活が両立できてたらそれは目出度く一般人であって決してオタクなどではない。

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 なるほど、この定義に従うなら、私はcommand770氏の言う「オタク」の域には達していないのかもしれない。以前他の人にも言われたことがあるが、「ぬるオタ」「ライトおたく」だ。


 しかし、私の学生時代、この「おたく」という言葉にどうしても向き合わなければならない事件がいろいろ起こった。
参考:小学生の頃、内気な女子をバイキン扱いするいじめが流行ったよね?おたく=のけ者集団という呪縛
 要は「内気な人やファッションに疎い人やブサイク=おたく」扱いであり「おたくと仲の良い奴=おたく」扱いなのだ。要は、いじめが主で、その口実が「あいつはおたくだから」だったのだ。
 「内気、ファッションに疎い、ブサイク」をいじめの口実にすることを許さない大人も、「あいつはおたくだから」は、まさに魔法の言葉で、大抵無条件で許してくれるものだった。それはなぜか? 当時は「おたく=凶悪誘拐殺人犯」という印象がマスコミによって作り上げられていた時代だった。それにうまく乗じ、「あの内気でおとなしそうな子が、突然、凶悪誘拐殺人犯のような悪魔に変貌するなんて、まあタイヘン!」という不安をいたずらに煽って、いじめの加害者の子供たち、若者たちは、年上の大人達をもうまく言いくるめて味方に付けたのだった。
 さらに言うなら、昭和時代までは単なる「若者の趣味」扱いだった、いわゆる「おたく趣味」は、一般人の友達の多い奴は、人の目を気にしてやらなくなっていた時代だった。そして、そのような趣味をまだ続けていたのは、いわゆる“スクールカースト”の底辺層にいる人々のうちの一部が中心となってやっている、といった具合になっていた。
 「お願いだからそういう奴と付き合うの止めてくれ、俺が“あの、おたくみたいな奴と仲良くしゃべってる奴と仲が良いのか?”って言われたら、どう答えればいいんだ」って言われた事が何度あったろう。もう、好きにしろ、が私の答えだった。私はこの種のいじめに荷担する道より、自分がおたく呼ばわりされてもいいから、おたくと呼ばれていた彼らの肩を持つ道を選んだ。
 なぜかって? ダチって大切だろ!? 内気だとか容姿に恵まれないとか、パソコンマニアや写真マニアやアニメマニアとか、そういう人を友達に選んで何が悪い。他に何も悪い事をしていないのであれば、どうしてそう簡単に仲間外れにしたり裏切ったりいじめたりしていいんだ。そんな男の恥さらしみたいな事をするなんて、私のプライドが許さなかっただけだ。
 とは言え、彼らの肩を持つなら持つで、彼らの事を知らなければならない。このような人たちと極力話をするよう努力してきたし、おたく趣味についても、積極的に情報を得ようと努力してきた。残念ながら当時、私は平均的な同年代の一般人に比較しても、漫画やアニメやゲームには、てんで疎かった。そこで、映像研究同好会(言うなれば「げんしけん」のような場所)に入り浸って情報収集し始めたが、やっぱり付け焼き刃は付け焼き刃だった。本格的にこれらの世界に親しむようになるのは、社会人になってからのことだった。


 今になって思う事だが、この、他の学生をおたく呼ばわりしていじめていた連中も、圧力を感じていたり、寂しかったのではないだろうか。きっと、彼らの仲間から仲間外れにされないよう、いつも気を遣っていたために、「おたくと仲が良い奴と付き合うと、仲間外れにされる」事を恐れていたのだろう。それに、いじめそのものも、日頃の鬱憤を晴らす対象を見付けたがっていたのかもしれない。だからと言って、いじめて良いという理由にはならない。しかし、こういう、いじめる側の背景を理解する事も、時には必要なのかもしれない。