一般人のメイド喫茶デビューをプロデュース

 普段は独りで行動することがほとんどの秋葉原であるが、たまに他の人と一緒に行くこともある。最近は以前より多くなってきた。ここ一年くらいの間に四回、である。


 一回は外国人観光客と一緒に東京見物のガイド役兼、電気製品を買うのにお付き合い。
 彼らが日本に来たばかりで眠くて疲れてる初めての晩、何を血迷ったか、その日夕食に招待された場所は、和食レストランだった(私が決めたんじゃないぞ)。日本人でも何も付けずに食べないだろう豆腐をそのまま食わされたり、すすらなきゃうまく食えないうどんを、慣れてない箸を使って食わされたり、挙げ句の果てには、すりおろしたアボカドと思って一口まるごと食ったらそれはワサビだったりと、散々な目に遭っていた。
 その翌日のアキバで、私は哀れに思って、彼らが食えそうな店に連れていったのだった。残念ながらドネルサンドの屋台は開いてなかったし、キュアメイドカフェを薦めるのは冒険し過ぎかもしれない。結局無難な線で、ペッパーランチに行ってビーフペッパーライスを頼んだのだが、かなり好評で、まるで飢えた子供のように本当にうまそうに喰ってたのを、昨日の事のように思い出す。


 そして、メイド喫茶に一度行ってみたいという人に、メイド喫茶ガイドとして付き合ってあげたのが残り三回である。
 私は一人で地元のラーメン屋だのレストランだの喫茶店だのに情報収集も兼ねて行くことがある。どこかで外食しようと突然決まることがよくあるが、その時にいつもガストやサイゼリヤばかりでは芸がない。時々新しい店を開拓したくなるものだ。それに、その店に行かないにしても、どんな雰囲気の店だということ自体、話題として使える。
 もちろん秋葉原についても同じ理由でいろんな店に行ってみるのだが、話題として使う方が多くて、実際の店に誰かを連れていくという機会は、それほど多くない。この頃になってやっと、その知識が本格的に活用できるようになってきたし、他の人と実際に行って感想を聞くことも、新しい発見である。今日はその一つを紹介したい。

意外にも好評な正統派メイド喫茶

 他の人と実際にメイド喫茶に行ってみて気付いた事の一つは、「テレビに出てくるようなアイドル的なメイド喫茶よりも、落ち着いた雰囲気の正統派メイド喫茶の方が好き」という感想も結構あるということである。三人中二人がそうだったし、「メイドさんとゲーム、ってのを是非ともやりたい!」などとは言わなかった。残りの一人も「もっと刺激があると良かったかな」程度で、決して嫌いというわけではなかったようだ。


 言われてみれば、「おかえりなさいませ〜ご主人様〜」と甲高い声でブリッ子な接客されるのは、確かに刺激的な体験かもしれないけれど、落ち着いてお茶するには似合わない雰囲気かもしれない。
 大体、オトコの十人が十人、「疲れてる時、女の子とにぎやかにおしゃべりする事で癒されたい」なんて考えは持っちゃいない。逆の人だって大勢いる。「疲れてるんだから、そっとしといてくれよ」というわけだ。会社の付き合いで、飲み屋でさんざん酒を飲んだ後、もうゲロも吐きそうなほど気持ち悪いのに、その次に可愛い女の子のいるようなパブに連れていかれて、「もう、気分悪いからそっとしといて欲しいのに、こっちが気を遣って甲高い声の女の子とおしゃべりして場を持たせなくちゃいけないのかよ、これじゃどっちがどっちを接待してるのか、本末転倒じゃないか」と言いたくなる経験をしたサラリーマンもきっといるだろう。


 その点、メイド喫茶は、その種のパブとはコンセプトがまるで異なる。客は用事のある時以外は、店員と話をしなくていい。これは喫茶店として当たり前と言っちゃ当たり前の話なのだが。しかし、客と店員との距離がそれくらいでちょうど良いと思っている人も、男にも結構いるのではないかと思う。
 それを突き詰めていくと、正統派メイド喫茶という事になる。それじゃ普通の喫茶店でも同じじゃないかと言われてしまいそうだが、正統派メイド喫茶のチョット違うところは「レトロな雰囲気」ではないかと思う。最近は普通のレストランの内装として、レトロな雰囲気のおしゃれとしてホーロー看板やネオンサインを付けている店もあるが、正統派メイド喫茶はレトロな雰囲気を店員の服で表現しているわけである。ちょうど、明治時代の女学生みたいな制服の「馬車道」というレストランのように。


 何はともあれ、私はメイド喫茶について聞いてくる人には「テレビに出てくるような店ばかりがメイド喫茶じゃないよ、もっと落ち着いて真面目な雰囲気の店もあるし、十店あれば十店とも、それぞれ雰囲気がまるで違うものだよ」と常日頃言っているのだが、私と一緒に行った人は、みんなそれを理解してくれた事が何よりもうれしい。それだけでなく、正統派店舗の方が好きだという意見が私の思っていたより多かったのは驚きでもあり、うれしくもあるものである。