サクラの功罪

教育改革タウンミーティングでやらせ質問、内閣府作成


 「こういうサクラって、みんな知ってるお約束じゃなかったのか?」というのが私の第一印象。
 確かに、「やらせ」と言うと聞こえは悪い。しかし、こういうサクラは、適当に使うのであれば、積極的な議論を引き出すための、いわば“触媒”として必要悪なのではないか。私はそう思う。とは言え、功罪の「罪」の部分は、決して無視できないものであり、手放しで良いものと勧めるわけにはいかない。

サクラの「功」の側面:サクラは「質問のお手本」

 自分には質問したい事がある。しかし、誰も質問していないという状況で、自分がその先陣を切るのは、場慣れしている人を除けばとても勇気がいる事のはずである。
 そこで、サクラの登場である。サクラが、よくありがちな質問を一つ二つしてみると、質問したかったけどその勇気のなかった人も、「あの人の次だったら私も質問してみよう」と思うかもしれない。
 また、何となく質問してみたい事がモヤモヤとあるが、どう質問すればいいかわからない、という人にとって、先陣を切ってくれる人がいれば大いに参考になるだろう。それに、先だって質問した人の意見を聞くことによって、自分があまり気づいていなかった事柄に気づき、それについて質問してみようという気も起こるかもしれない。


 労働省(現厚労省)の元キャリア官僚である中野雅至・兵庫県立大学大学院助教授は「国は、直接住民の意識を吸い上げる気も経験もない。住民の意見は水面下で聞き、表舞台はシャンシャンで済まそうという根回し文化が強い。質問が出なかったり、想定外の発言が出て大臣に恥をかかせることを、国の役人は相当恐れる」としている。この意見は、私には賛成する部分もあれば反対の部分もある。
 まず、質問が何も起こらない「異議なし!」「異議なし!」の状態は、むしろシャンシャンで済ませる事になるのではないだろうか。サクラという「質問のお手本」を先に示すことで、他の人の意見を引き出すための導火線として使い、それによって積極的な議論へと導くのであれば、結果オーライなのかもしれない。

サクラの「罪」の側面:サクラが時間を食いつぶす

 ところが、そのサクラも、使い方によっては、確かに指摘通り「直接住民の意見を聞かずに、自分たちの意見だけを宣伝する手段」に変わってしまう事がある。それは「一般人:主、サクラ:従」ではなく「サクラ:主、一般人:従」に逆転した時である。つまり、「質問時間は限られているが、その大半をサクラが食いつぶしてしまい、一般人が質問する時間が無くなってしまう」という場合である。ひどいと「サクラ:全部、一般人:無し」という事もあり得る(タウンミーティングではこういう極端なケースは無かったかもしれないが)。
 もし、表面上は「みんなの意見を聞く時間を取る」としておきながら、実際には反対意見を述べたい人をほとんど当てず、自分たちの都合の良い意見を述べるサクラだけを当てる、となると、それは「シャンシャンで済ませている」という指摘通りの状況であるし、まさに「茶番劇」や「出来レース」の言葉がふさわしい。どう見ても健全な議論とは言えない。


 また、サクラの発言による意見の誘導、という面も考慮すべきだろう。技術のあるサクラを使えば、賛成とも反対とも決めかねている日和見層を、うまく賛成側に誘導することができる。こうして、その意見が正しく、参加者の大半もそれを認めており、それに反対する人があたかも社会の敵であるかのように参加者を誘導していくなら、そんな雰囲気の中であえて反対意見を提出する事とは、雰囲気をぶち壊す大人気ない事、周囲を敵に回す事ととられかねない。ここらへんの人間心理を特に巧妙に利用するのが催眠商法マルチ商法であり、政治の世界でも左派・右派の別を問わず広く見られる手法である。

右派のふり見て左派のふり直せ

 サヨク自民党政権という右派がこういうサクラを使っていたという事を、さも鬼の首を取ったように非難しているが、サヨクの側にも似た問題、つまり、政治のプロ集団が「一般市民の意見」を装う「プロ市民」という形のサクラを使っている事がある。これは、どうなんだろう。この機会に、この問題も一緒に考えてみるべきかもしれない。

私がサクラという存在を知ったのは

 それは小学校の授業参観だった。授業参観の前に、あらかじめ先生と児童が打ち合わせをしておくのは、お約束だったし。私のクラスではそれほどサクラ度が高くなかったが、クラスによっては、「こういう質問をするので、みんな手を挙げてください。そこで誰々さんを指しますので、こう答えてください」とかね。特に、先生の質問に対して、サクラがボケた答えを返すと大いに盛り上がるわけで。その子の親も「まあうちの子ったら、何て恥ずかしい答えを」と一瞬ビックリするのだが、雰囲気がつかめてくると「これはサクラだな」と、ニンマリするわけで。
 あとは催し物で客席からステージに呼ばれるゲストだろう。明治大学マンドリンクラブのコンサートとサクラ(たとえば指揮者の代わりに指揮をしてみたい人を一般から募って、指揮をしてもらうなど。一般人は大抵手を挙げる勇気がない。あるいは、リクエストコーナーで、古賀メロのうちどの曲を演奏するか、客に拍手で選んでもらうが、最初から曲目は決まっており、サクラがその曲に大きな音で拍手している上に、残りの二つはあまり有名でない曲)は、両親の話を聞くと、昔も今も切っても切れない関係にあるし、そのお約束がわかってこそ、ステージを大いに楽しめるものである。
 私が疑問に思っているのは、「桜塚やっくん」が指名する客は果たしてサクラなのか否か。一般にはこういう状況ではサクラを使うものだが、本当にサクラでないとしたら、このツッコミの早さと的確さは、まさに神業である。