小学生の頃、内気な女子をバイキン扱いするいじめが流行ったよね?

 いじめっ子連中の仲間としていじめに荷担するのではなく、内向的な人とも外向的な人と等しく普通に接していく。これが、人間としての生き方の理想だ。私は幼い頃からそう思い続けてきた。
 もっとも、当時、周囲の風潮に影響されて内向的な人を差別的な目で見たり、いじめに荷担してしまう事も、全くなかったと言うと嘘になる。
 私の小・中学時代は、特に女子に内向的な子が何人もいて、中にはほとんどしゃべらない子もおり、男子たちにはバイキン扱いされていじめられていたものだ。
 そういう子を避けずに普通に接すると「あー、あいつの事好きなんだ!結婚!結婚!」とか「ばっちいぞ!ピースバリヤ!」などとはやし立てられるもので、その圧力に屈せず正しい事を行うことは、まさに挑戦であった。


 高専に進学すると、私のいたクラスではこのような幼稚ないじめはほとんどなかったが、他のクラスでは、別の形であったようである。アニメマニアとか内気な人が差別的な目で見られる事があったらしい。

 さて、高専という学校は本当に心の広い学校である。皆さんは入学したばかりの頃、そのことについていろいろ気付いたに違いない。違う信条を持った人でも、偏見を持ったり軽蔑したりせず、普通に生活していく。これが高専の伝統である。
 しかし、その良き伝統も、ある心ない学生たちによって壊れかけようとしている。ある人を「あいつ、ひょろひょろして、蹴飛ばせばすぐにでも倒れそうな奴だ」とか、「首から1眼レフカメラをぶら下げて、いつもうろうろしているような奴は、許せない」などと攻撃し、それが間違っていると言うと、「これは単に好き嫌いの問題だから、自分の勝手だろ」と、自分を正当化するなどということは日常茶飯である。また、一年生の教室に貼られた部のポスターに少女趣味的なイラストが使われているからというそれだけの理由で、権限もないのに勝手にはがすということもあったらしい。彼らはあまりにも極端なほどにマニア嫌いなのだ。確かに私も行き過ぎた趣味や服装は好きではないが、ファッション雑誌に載っているような服の着こなし方をしていないとか、スポーツよりも家の中でやる趣味が好きだという理由だけで軽蔑するのは極端すぎるだろう。
 高専とは、基本的に科学少年少女の集まりである。しかし、その事実を知らずに入学してしまい、結局、理想と現実の大きなギャップに気付くこともあるだろう。でも、もしそうなったとしても、真面目な学生を軽蔑し、自分の気に入らないことはことごとく排斥するなどという心の狭い人間には、私はなりたくない。

――「女もすなる日記といふもの」拙作。1994年5月発行「おあしす」(木更津高専文芸同好会会誌)。


 人間は人それぞれ性格が違う。外向的な人もいれば内向的な人もいる。その内向的な人とウマが合う合わないはあるから、友達になれとは言わないし、無理に友達になってやる必要もない。それに、過度に自己中心的だったり他人に迷惑を掛ける人なら話は別だが、そうでなければ、せめて人間として普通に接してやれないものだろうか。その人がいないかのように振る舞うなど、露骨に避けたり、弱いのをいい事にいじめのターゲットにしたり*1、そういうのは良識有る人間の取る行動では決してない。


 内気な青少年を「おたく」呼ばわりして露骨に避けたり悪口を言ったりいじめたりする傾向は今でも根強く残っているが、はっきり言おう。
 そんなの、大人気ないぞ。「えんがちょ!」とか「ピースバリヤ!」とか叫んで喜んでる小学生じゃあるまいし。
 それに、実際に話してみると、ホントは面白い奴だったという事がわかる事が往々にしてあるものだし、それがきっかけで相手の性格も丸くなってくることだってあるものだ。

*1:面白い事に、弱い者いじめが好きなそういう奴らほど「おたくはロリコンロリコンは成人女性が苦手で弱い少女を狙う」と偏見たっぷりのレッテルを貼りたがるものだ