若大将シリーズのテーマの一つは「見返りを期待しない親切」

 最近、近所のレンタル屋に「若大将」シリーズのDVDがようやくお目見えしました。
 私は昔の映画が大好き。小津安二郎作品のような侘び寂びの世界も好きだし、吉永小百合浜田光夫コンビに代表される青春映画も好き。そして青春映画の中でも私が特に気に入っているのが、加山雄三の「若大将」シリーズだったりします。
 主人公の「若大将」は、スポーツ万能で女の子にモテモテ(ただし本人は基本的には恋愛に興味ないらしい)で、老舗のすき焼き屋の一人息子の大学生。対してライバルの「青大将」は、オープンカーを乗り回していて、金の力で女の子を周囲にはべらそうとしている(が、実態はアッシー君)、大企業の重役の息子。


 二人とも、ある意味「人に利用されて酷い目に遭う」のが、毎回のお決まりのパターンなのですが、若大将の場合は最終的にその苦労が報われ、青大将はその苦労が報われず踏んだり蹴ったり。二人の違いはどこにあるのかと考えてみました。
 青大将の親切心は、「女の子にモテるため」という下心が見え見えで、彼の周りに寄ってくる女の子は沢山いるものの、「金ヅル」とか「アッシー君」としか見られていません。彼女たちは、気を持たせてうまい事言いくるめてダンスパーティーのチケットをせびって、車に乗せてもらったら、あとは用済み。当然のように期待していた見返りが全くなかった青大将は、「ああ損した」とばかりに悪態を吐くのがお約束です。
 対して若大将の親切心は、決して見返りを期待しません。たとえ自分が父親にお説教を食らって勘当される羽目になろうとも、それをものともせず友達を助けます。たとえ相手が自分を半ば利用していたとしても、です。若大将は女の子みんなに優しくするので、恋人の澄ちゃんが「自分に冷たい」と誤解して嫉妬する事が多いのですが、これは普通に一人の人間として優しく扱っているというだけで、澄ちゃん以外の女の子とは付き合いにいつも一線を引いています。あわよくばこの娘も二人目の彼女にしようなどという下心があるわけではありませんし、青大将みたいに「女の子にフラれた途端にあからさまに冷たくする」なんて事もありません。


 もちろん、この作品は所詮フィクションであり、実際の社会とは違う部分もあるし、時代設定も40年以上昔の話です。でも、「見返りを期待しない寛大な親切心は、たとえ短期的には割に合わない事があっても、長い目でみればきっといつか報われる」というメッセージを、この作品を作った人は送りたかったのではないか、と私は思います。
 私は若大将と違ってスポーツ万能でも女の子にMMK*1でもないけど、見返りを期待しない親切心とか愛とかを示す事を理想としている点では考えが似ている部分もあるし*2、今考えると、私が「若大将」シリーズを好きな理由の一つは、ここにあるのかもしれません。

ぼくはね ホントのこと言うとね
女の子に あんまり関心がないんだ
でも 年寄りに親切な人*3は別だ
つまり… 澄ちゃんは 好きだ

――「大学の若大将」

*1:「モテてモテて困ってる」の略。「大学の若大将」の最後の方で出てくる言葉。一昔前に流行った「MK5(マジでキレる5秒前)」みたいな略語は、何と昔からあったものなのです。

*2:さすがに私は他人の罪をかぶって勘当される勇気までは持ち合わせていませんが。

*3:澄ちゃんがバスでおばあちゃんに座席を譲ったことを指している