卍(まんじ)は“差別的シンボル”か

ロイターによると、米マイクロソフト社は「Bookshelf Symbol 7」というフォントから二つの文字を取り除くツールを近く提供すると発表したとのこと。


 日本では仏教シンボルとして使われている卍(まんじ)と逆卍である。ユダヤ人団体から「ナチスドイツの国章である『鉤十字』がフォントにある」との連絡がきっかけだったという。
 無意識のうちに行っていることが、弱者への配慮を欠くことになりかねないとは、正にこのことだろう。日本の地図を見るとどうだろう、卍が何十個、何百個も使われている。仏教寺院に行くと、必ずといってよいほどこのシンボルに出くわす。パソコンで用いられている日本語フォントにも、卍が含まれている。このような現状を見ると、日本人の教養や人権に対する意識の度合いが自ずとわかるというものだ。

 確かに、昔は卍は仏教シンボルとして使われていたが、シンボルの意味は時代によって変わる。ナチスドイツ時代、このシンボルはアーリア人至上主義とユダヤ人差別のシンボルとして使われてきた忌まわしい過去があることを忘れてはならない。昔は普通に使われてきたシンボルであっても、今は差別的意味なのだ。たとえるなら、「貴様」や「おまえ」は昔は親しみのこもった言葉だったからと言って、今でも使って良いという理由にはならないのと同じだ。

 中には「ナチスの逆卍と日本の卍は向きが違うから別物だ」と言う人もいるだろう。しかし歴史をひもといてみると、仏教では卍と逆卍、どちらももともと古くからあったシンボルであるが、日本の仏教では主に左卍を用いているというだけに過ぎない。つまり兄弟同士のシンボルと言える。

 なるほど、日本では仏教的な意味で用いられ、ユダヤ人差別の意味では用いられないかもしれない。しかし日本を訪れる外国人が、このシンボルを日本の至る所で見かける時、どう感じるだろう。中にはナチスドイツ時代つらい経験をし続けてきたユダヤ人もいるかもしれない。あるシンボルを不快に思う人が一人でもいるのなら、そのシンボルをあえて使い続けるのはどうだろうか。避けることによって、それらの人たちに愛ある配慮を示せるのではないだろうか。そして、不快に思っている人を無視してあえてそのシンボルを使い続けるのは、視覚的暴力と言っても差し支えないのではないか。我々はわがままを言って差別シンボルを使い続ける代わりに、ちょっと譲歩すれば、ユダヤ人と仲良くなれる。

 弱者の痛みは弱者にしかわからない。日本人は、過去ユダヤ人が遭ってきた悲惨な状況、ユダヤ人の心の傷を知らないから、卍という差別的シンボルを臆面もなく使い続けているのだ。実際こんな状況は、欧米諸国から見ても人権的にかなり後れていると言わざるを得ない。さあ地図から、仏教寺院から、パソコンの漢字フォントから、差別シンボルを取り除こう。地球市民の国際的友好関係は、ここから始まる。


 ……と書いてみるテスト(以上は飽くまでも風刺なので悪しからず)

 あなたは、上の様な意見に出くわしたら、どう反論しますか。(ヒント)