「ぼくのなつやすみ」

 季節ネタとしてこのゲームの話を。これは、「ドラクエ」のような普通のRPGをやったことのある人にとって、ちょっと毛色の変わったゲームかもしれない。

 何が違うって、このゲームの中の「8月1日から31日」までの間、やる事は全く自由なのだ。ラスボスを倒してクリヤするゲームではなくて、エンディングは向こうから必ずやって来る。充実したアウトドアライフを過ごす毎日を過ごしても、逆に「きょうはなにもない一日だった」と毎日絵日記に書くような夏休みを一ヶ月過ごしても、「31日」になれば必ず終わってしまうゲームなのだ。


 だから、面倒くさいドラクエの「レベル上げ」とは無縁であるばかりか、このゲームでは無駄にフィールドを動き回ることが、むしろ時間のロスになる。そう、このゲームはレベル上げゲームではなくて、タイムトライアルなのだ。夏休みは本当に短い。その短い期間に、探検や昆虫採集や虫相撲や魚釣りなどなど、やりたいことをどれだけたくさんできるか、というゲームだ。あまりあちこち行っていると、すぐ夕方になってしまうから、何もかもやりたい人は、今日はどこに行くのか、毎日ちゃんと計画を立てないといけない。それに、誰かに話を聞いたりアイテムを入手して初めてできる遊びや、早いうちにクリヤしないと見られないイベントも幾つかある。もちろん、このゲームの遊び方は自由であるから、そんなことにこだわらずにまったりのんびり遊んでもよい。苦労しなくたって「31日目」には誰でもクリヤできるのだから。

 これだけなら単なる「子供の遊びシミュレーションゲーム」で終わってしまうだろう。しかしこれで終わらないのがこのゲームの面白みだ。下宿先の親戚の家には、陶芸家で面倒見の良いおじさん、主婦業に誇りを持ち、男の子が可愛くてたまらない、まるで「キレイキレイ」のCMから飛び出して来たような活発な主婦のおばさん、恋に悩みし乙女の長女、年下のくせにいつもいばってるけど、友達がいなくてアリンコの観察が趣味の次女、他にも幻のニホンオオカミを発見するためキャンプしている大学生のお姉さんや、ガキ大将&太っちょ&メガネの近所の悪ガキトリオ、と、登場人物は実に個性的。

 登場人物が個性的なら、セリフも個性的。毎日の出来事やら、自分の思いやら、昔話やら、セリフは毎日変わるので、登場人物に話しかけて「毎日」セリフを聞き出す、それだけでも十分楽しめるゲームだ。もっとも、少々キザなセリフも時々あるので笑ってしまうが、ま、これはお約束と割り切ろう。

 キャラクターデザインは、ライオンの「キレイキレイ」や、NHKの「きょうの料理」「おしゃれ工房」オープニングでも有名な、上田三根子。あのポップでキュートな上田三根子キャラを3Dで自在に動かせるというだけでも、私にとってはうれしいものだ(私は少々主婦的趣味(おかみチック)なところがあるのか、前から上田三根子キャラが好きだったのだ)。「萌え」の側面から言うと、「ボク」ちゃんが可愛くて可愛くて仕方ないという男の子萌えな奥様方には、特に楽しめるゲームではなかろうか?


 さて、このゲームの世界では、楽しい夏休みの反面、どこか物悲しさも残っている。まず、下宿先の親戚の家の、「死んだおにいちゃん」。親戚の家族は、主人公「ボク」を見ると、この数年前に死んだおにいちゃんのことを思い出してしまうようだ。次に、戦後三十年の節目。おばさんは子供時代に終戦を迎えた世代で、その思い出話を語ってくれるし、「ボク」が山奥で見付けた謎の宝物「あなあなぼぼん」には、やはり戦時下の悲しい歴史が隠されていた。それから、長女「萌」おねえちゃんの憂鬱。本当に長く続くので、「ボク」も含めみんな心配である。「萌」おねえちゃんと言えば、縁側で時々クラリネットで吹いている「マイ・ボニー」。これも海の向こうの恋人を想う切ない歌だ(マイ・ボニーといえば、昔NHKで放映された「夢の島少女」というドラマで、主人公がこの歌を口ずさむワンシーンも思い出してしまった。やはり悲しい歌だ)。最後に、もちろん秋の気配を感じながら、次第に夏の終わりを迎えていき、「あれもやりたかった、これもやりたかったのに、もう終わってしまった」夏休みを振り返るのも、やはりさみしいものだ。

 そんなわけで、このゲームは「大人でこそ十分理解出来る要素」も幾つかある。もちろん子供にも楽しめるゲームだし、このゲームを通じて「田舎暮らし」や「昆虫採集や虫相撲や凧揚げや昔ながらの子供の夏遊び」の魅力に目覚め、機会あれば今度は本物を楽しみたいと感じてくれるかもしれない。まあ、ここまで期待するのは大袈裟かもしれないが、なかなか変わった面白いゲームであることは確かだ。