自分の筆名考

 私がKan-chanというハンドルを使い始めたのは、1994年のことだから、十年以上も同じ名前を使い続けてきたことになる。草の根パソコン通信を使い始めた時にその名前を採用したのだが、元をたどれば小学一年生の時に付いた渾名(あだな)を英字表記に直しただけのものだから、もうかれこれ四半世紀近くはこのニックネームとお付き合いしていることになる。

 「Kan-chan」の前には、ギリシャ語で風の意味の「anemos」とか、若々しい若葉に男だか女だかわからない薫で「若葉薫」なんて筆名を使って学内文芸誌に寄稿していたことがある。学生時代は自分の筆名を最終的には一ダースくらいは考えついて、いろいろ使っていたものだが、最終的には学内文芸誌では「若葉薫」、パソコン通信では「Kan-chan」に落ち着いた。

 当時のパソコン通信掲示板は、過度にくだけた文体で書いて、「(^_^)」「(^_^;)」「(*^-^*)」みたいな顔文字やら、「キイハナ」「デフォ」「もぇ〜(後には「萌え〜」とも)」「(ププ」の類の怪しいネットスラングをたくさんちりばめるのが一般的な書き方。そういう飾りっ気が何もないと逆に無味乾燥で堅苦しく思われ、周囲から浮いてしまうほどだったから、私もある程度は使っていた。そういう文体には「Kan-chan」という筆名がぴったりだった。逆に、それらの顔文字やネット用語に頼ることなく、純粋に文章のみで勝負する世界、それには「Kan-chan」という筆名はあまり相応しくなかった。それで、「若葉薫」という筆名を引き続き使い続けていた。

 活動の場をインターネットに移してからも、くだけた文体と顔文字に頼る傾向は、なかなか抜けきれなかった。しかし、いつ頃からか、それらをあまり使わない派にゆっくりと転向してしまった。顔文字嫌いの人とメールをやりとりする事があったり、正字正仮名遣ひで文章を書き始めて、伝統的な美しい日本語の魅力というものに目覚めたり、インターネットでも顔文字を使わない普通の文章を使う人が徐々に増える様子を見たり、きっかけは色々あったが、とにかく、くだけた文体や顔文字を使う必要性をほとんど感じなくなってきた。「誤解されにくい、円滑なコミュニケーション」に顔文字は必須ではない。それがなくともわかりやすい文章が書ければ、それでよい(もちろん、使うなという意味ではない。友達同士など、状況によってはワンポイント程度使うと和んだ雰囲気になるかもしれない)。

 しかし、代わりになる良いハンドルが見つからなかったという理由から、そのくだけた文体に似合うハンドルである「Kan-chan」だけは、そのまま使い続けてきた。「若葉薫」でも良かったのだが、平仮名で表したものも含めると、同姓同名が元宝塚スターも含めいろいろ居たので、使うのを止めてしまった。「Kan-chan」にしても同じハンドルを使っている人が他にもいくらか居たので、場合によっては「すし猫Kan-chan」を名乗って区別していた。「すし猫」とは、三ツ森あきら先生のギャグ漫画に登場する、間抜けで忘れっぽいシャム猫の名前である。

 「ちゃん」の付くハンドルは少々面倒なもので、「カンちゃん」のままで良いのか、「カンちゃんさん」と二重敬称にする必要があるのか、迷う人も多い。それに、「ちゃん」の付く、子供っぽいないしは少々馴れ馴れしい呼び方には抵抗のある人も少なからずいるだろう。少なくとも、真面目な文芸作品には違和感のある筆名であることは、昔から感じている。その上、英数字から成るハンドルである上に頭文字が大文字なので、入力が少々面倒だと思う人もいるかもしれない。こんな問題点があった。

 さて、私は渾名(あだな)をあまり付けられないタイプの人間であり、実生活では本名で呼ばれる事の方が多い。だからこそ、数少ない自分の渾名の一つを長年大事に愛用してきた。ところがつい最近、そんな私にも転機が訪れた。十数年ぶりに新しい渾名を付けられてしまったのである。それも日本人にではなく、グァテマラ人にスペイン語で!(グァテマラとは、メキシコの南にある国) 「Osito(オシィト)」、つまり「熊さん」という渾名である。彼らにとって私はどうやら熊っぽい印象だったようだ。

 こうやって自分に渾名を付けられることなんて滅多にない事であるから、これを機会に、長らく代案の無かった「Kan-chan」に代わる新しいハンドルに改名することにした。当初は姓を「熊野」か「森野」、名を「押人(おしと)」か「押仁(おしひと)」にしようと思ったのだが、「押人(おしひと)」ないし「押仁(おしひと)」は六代 孝安天皇の名前であることが判明したため、この畏れ多き名前は使わないことにした。結局最後に残った案は、順番を逆にして「Osito・熊」で「押井徳馬(おしいとくま)」。googleで検索しても、どうやら同名は居ないようだ。しかも、真面目な文体にもさほど違和感ない筆名である上に、くだけた文体にも悪くない。これからはこの新しいハンドルを使っていこうと思うのだが、まだ私も慣れていない。十年来の習慣をいきなり変えるのは、案外大変なものである。