“バーチャル”と仲良くしよう

 先日私が山手線に乗っていると、ある5,60歳代くらいの男性が、知り合いの男性と、こんなことを話していました。
秋葉原のあの殺人事件は、私も前々からいつかああいうのが起こるだろうなとは思っていたよ。だって、あいつら目がおかしいから。異常だよ。普段大人しいのに、自分の好きな事だけは饒舌になったりとかするし」。
 今やマスコミでは、秋葉原の文化を好意的に扱うことも多くなってはきたものの、このような主張も未だに根強く残っている、という事に改めて気付かされたのでした。

「フジヤマ・ゲイシャ」的な事の多いオタクバッシング

http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/ea/27/
痛いニュース(ノ∀`) : 【論説】 「ゲーム製作者へ…もう殺人や暴力のゲーム作るな!」「ゲーム画面の女の子にケーキ贈る…異常だ」…精密機器製作会社社長 - ライブドアブログ
 例の秋葉原通り魔事件と、今回の事件とは関係ないメイド喫茶等を無理矢理こじつけるなど、秋葉原の事情に精通している人から見たら、まるで「フジヤマ・ゲイシャ並の知ったかぶり」記事。案の定、コメントやトラックバックで多くの人に突っ込まれてます。それにしても、「バーチャル」とか「仮想空間」って言葉が本当に好きですね。本当に意味を知ってて使っているのかい、それとも何とかの一つ覚えで使ってみたいだけなのかい、と毎度の事ながらツッコミを入れたくなりますが。
 調べてみると、この筆者は、米軍横田基地にある教会にで長老を務めてらっしゃるとのこと。ゲームじゃなくて本物の人を殺す訓練をしてる場所じゃないですか。仮にゲームがそんなにダメなら、本物はもっとダメじゃない。是非とも、自分の教会の説教壇から「精神に悪い影響を与え、民間人への暴力にもつながる、殺人や暴力の訓練は拒否しましょう」と言って欲しいものです。*1「米軍には言えないのに、おたくには言える」のでしょうか。はっきり言っておきますが、それは「弱い者いじめ」と言います。


 とりあえず、思ったことを箇条書き。

  • メイド喫茶」が「コース料金で3800円」というのは、相場からしてもかなり高いです。ぼられてます。多くは、「制服が可愛いだけの普通の喫茶店」であって、コーヒー一杯400〜600円くらいあれば十分楽しめます。「普通の喫茶店と間違って入ってしまうような雰囲気の店で、3800円」というのは、すごく考えにくいです。記憶違いか、筆者の創作が相当交じっているかのように思います。
  • メイド喫茶」は風俗でもキャバクラでもありません。店員にすごく失礼なセクハラ発言です。そういうサービスを期待するエロオヤジは店から追い出されますよ。ディズニーランドのレストランでディズニーの世界の雰囲気を味わうのと同じで、メイド喫茶とは、アニメ等(に限らず、映画やドラマ等の端役としても)でよく出てくるあのメイドさんが本当にいる喫茶店という面白さを味わうもの。昔の喫茶店は、ああいうメイドさんみたいな制服(PC版ブログのタイトルに現在使用しているイラストみたいな感じのもの)が多かったので、ある意味、懐古趣味、原点回帰かもしれません。入ったことのない人は、誤解している人がすごく多いんですが、いかがわしいサービスは一切ありません。店員は、ただ客席に案内したり、註文を取ったり、給仕したりするだけ。店員がずっとそばにくっついておしゃべりしたりお酌したりという店ではありません。キャバクラに行き慣れている人にメイド喫茶のサービスを説明すると、「ただ制服が変わってるだけで、接待してくれるわけでもなく、いかがわしいサービスがあるわけでもなく、まるでつまらないではないか。何でこんなのが面白いんだ」と言われるものですが、まあ、そんなものです。そういうのを期待して行く店では決してありません。メイドさんの扮装はあくまでも「おまけ」で、あとは普通の喫茶店です。
  • とは言え、「メイド喫茶」のように言いながら実体はキャバクラに近い、店員と一対一の接待を売り物にした店もごく一部にありますが、私が見た限りでは例外的ですし、主流ではありません。
  • 今回の事件は、「人生のリセット」というよりは「リセットできないから破壊した」だけに思うのですが、いかがでしょう。ホント、「リセット」という言葉が大好きですね。本当に意味を把握して使っているのか、それとも、ただ使いたくて使っているのか。
  • 女の子の絵を映したテレビ画面の前にケーキを置いて一緒に食べる、というのは、クリスマスシーズンに時々見るジョークです。こういうジョークくらい、笑って許せないものかねえ。仮にも教会の長老なら、誕生日やクリスマスシーズンを独りさみしく過ごしている人のつらさを思いやるべきでは。
  • 「アダルトゲームやメイド喫茶」と、「常軌を逸した通り魔事件が増える」事との因果関係がどこにあるかを全く示さずに、あたかもあるように書いていますが、これは全くの想像でしかありません。私も、ゲームはよく選ぶ必要があると思うし、アダルトゲーム*2は基本的におすすめしないし、メイド喫茶も風紀の悪い店を避けて、よい店を選ぶ必要があると思うけれども、通り魔事件にまで結び付けるのは、あまりにも論理が飛躍し過ぎているでしょう。
  • あたかも仮想現実は偽物で悪く、「ゲームキャラクターよりは現実の女性の方が素敵」かのように主張していますが、小説やドラマと同じで、「現実にいない人物を、あたかも現実に存在するかのように上手に描き出す」事こそ、文化と言えるのではないでしょうか。たとえばディズニーアニメやディズニーランドの世界は、まさにそうです。
  • そんなに「バーチャルよりもリアルの方が良い」と思うのなら、クリスマスシーズンには「サンタクロースは本当はいなくて、パパとママがプレゼントを持ってくる」という事を教会で子供達に教えてみてはいかがでしょう。パパとママに感謝し、愛情を抱く方がよっぽど優れているではありませんか。もしそうしないとしたら、それは何故なのか、考えてみてください。


 イソップ物語とか、イエス・キリストの語ったたとえ話はまさにそうですが、たとえ架空の物語であろうと、そこから良い教訓を引き出す事ができるなら、これは作り話の世界を現実で有益に活用することに他なりません。フィクションにはフィクションの良さがあります。それが「現実を生きる良き糧となり」、人々に生きる希望や励ましや人生の導きを与えるのであるなら、それを活用しない手はありません。
 昨今アキバがにぎわっているのは、漫画やアニメやゲームという形でフィクションを楽しむ人口が増えた事の表れですが、これを100%悪者扱いする代わりに、良い方向で活用できないものでしょうか。その可能性は十分ある、と、私は信じています。

*1:もちろん、皮肉です。

*2:なお、昨今はいわゆる「泣きゲー」、つまり女性を意のままに陵辱する内容とは全く正反対の、純朴な恋愛物語をベースにした作品が多いようです。とは言え、ハリウッド映画でわざと下品な言葉を入れてレーティングをPGにするのに似て、「ゲームショップで売りやすい」というマーケティングの都合上、わざとベッドシーンを入れて18禁にしているパターンが多いと聞きます。PC版から家庭用ゲーム機に移植されると、今度はそういうシーンがあると売れないので外す、という、ねじれ現象が起きていたりします。そんな事するくらいなら、本来は最初からそんなシーンは要らないと思っているのは私だけではないだろうし、そういうシーンを飛ばしてプレイする人も多いと聞きます。