終末論としての少子化問題

 いつの世も、人々は終末論を求めているのではないでしょうか。
 20世紀末を振り返るならば、オウム真理教のハルマゲドン思想を危険な上に馬鹿馬鹿しいと非難し、当時「宗教コワイ」と言っていた人々でさえ、別の形での“ハルマゲドン”の到来を信じていた節があります。問題となる1999年まで「ノストラダムスの大予言」があんなに信じられていた事や、「2000年問題」で日本のインフラに大混乱が生じて危機が訪れることが大袈裟に宣伝されていた事に見ることができました。


 しかし、「1999年7の月に恐怖の大王が来て」人類が滅亡する事はありませんでした。「2000年問題」で一部のコンピュータシステムに問題が生じたとは言え、日本のインフラに大混乱が生じることまでには至りませんでした。これらの終末論は、もはや神通力を失ったのです。
 加えて言うなら、米ソの冷戦の終結に伴い、過去あんなに騒がれていた「核戦争による人類滅亡」というシナリオも、もはや過去のものとみなされるようになりました。


 恐らく、現在少子化問題がこんなに騒がれている理由の一つとして、これらもはや信じられなくなった終末論に代わって、人々の不安を煽る「何か」が求められているのではないでしょうか。私はそう推測します。
 確かに、2000年問題の時のように、実際に存在する危機について正しく認識し、正しく対処する事は、とても重要な事です。しかし、この世の中には、このような実際に存在する危機をおもしろおかしく取り上げて針小棒大に解釈し、不安を煽ったり、その不安を商売に利用するような連中が多いものです。


 どうも、少子化問題も同じような臭いがしてなりません。「我々はその危機を生き残って勝ち組となるのだ」とか「我々の方法こそがその危機を生き残る唯一の方法であり、信じない愚か者は死んで当然」という思い込みに基づく選民意識が鼻につく事が多いように感じます。
 しかし、いくら「我々の方法」で努力したところで、努力のやり方そのものが間違っていたら全く無意味です。確かに、少子高齢化は現実の問題です。しかし、眼前の氷山をスコップで一生懸命崩したところで、氷山にぶつかったタイタニック号を救出して元の進路を引き続き進めるわけがないでしょう。
 「人間みんなで努力すればどんな問題だって解決する」とか「それには、この方法しか対策はない」という間違った思い込みこそが、かえって問題をややこしくするものです。「みんなが結婚して子供を産めばインスタントに少子化問題が解決する」なんて漫画みたいな事を言っている場合ですか。現実に返りなさい。そんな簡単に物事が片付くはずがありません。国債と同じでただの問題の先送りであり、現実を全く無視していて、おまけに自然のバランスを取ろうとする強大な力を全くなめてかかってます。
 もう一度繰り返します。たとえ危機が現実のものであっても、方法を間違ってはなりません。誘われてあなたの乗ろうとしている“ノアの方舟”とやらの船底には、大きな穴があいていませんか。船首に“タイタニック”と書かれていませんか。