非モテ問題の落とし穴

モテないとお嘆きの男性の皆さん、ネット右翼にだけはないらないで。
 私はネット右翼の主張の100%でないにしろ、半分くらいは一理あると思う(ただし、一部に見られる極端な女性蔑視や朝鮮蔑視など、残りの半分はどうしても受け入れられない)ような人なので、その部分に関しては別としても、この記事は比較的参考になる内容であるように思います。
 この記事が指摘するように、非モテ問題は、ともすると罠に陥りがちなものです。

「昔は良かった」の罠

 まず、「昔は良かった」という主張です。非婚問題や少子化問題は「もうすぐ少子化“ハルマゲドン”がやってきます、しかしそれを生き残る唯一の道があります、それは、みんな結婚してどんどん子供を生む事だけです」と煽られるものだから、「今は悪い時代、昔は良い時代」であるかのように錯覚しがちです。
 しかし実際にはそんなことはありません。昔の方が大変だった事、今の方が楽になった事はたくさんあります。
 とは言え、今全てが楽になったかというと、社会構造が変わったのに昔のシステムを引きずっているゆえに苦しんでいる事もあったりするので、一概には言えません。とにかく「もっと冷静に判断しろ!」という事でしょう。

いがみ合いの罠

 非婚問題や少子化問題は、どうやら老若男女がいがみ合うように仕向けられているのでは、というのは、私も薄々感じてきた事です。特に男女のいがみ合いとなると激しいものがあります。
 「男が悪い」「女が悪い」に目がくらまされて、それ以外の根本的な問題が見えなくなって、得するのは一体誰でしょうか。よく考えるべきでしょう。

結婚と出産が人生の唯一の目的ではない

 結婚して子孫を残せない人間を生物的に失格だとみなして蔑視するのは、人間を単なる動物扱いしている証拠です。あるいは、人間をただの「子供を産むための道具」扱いしている証拠です。
 先のブログのコメント欄には、ガウディ、アンデルセン宮沢賢治は生涯童貞でも文化的DNAを後生に残した事、ルイス・キャロルロリコンだったらしいが、創作能力を活かして「不思議の国のアリス」などの文学作品を残した事についても触れられていました。
 人間は、結婚と出産が人生の唯一の目的ではありません。子供を残すことはできなくとも、それ以外のものを残すことはできるし、動物にはできない人間だけの特権です。
 ルイス・キャロルの例も考えさせられるものがあります。ある人が少女を愛する心を持っているとしても、それを間違った方向にではなく良い方向に向け、良い方向に活かす事は出来ないものでしょうか。つまり身勝手で利己主義的な欲望ではなく、自然な慈しみと思いやりと慎みの心を養う事です。そして、ルイス・キャロルのように、それが何か芸術作品に昇華するならまた素晴らしいものが出来るように思います。私は信じ、また期待しています。そのような意味での「萌え」であっても、もし良い方向に向けられ、良い方向で活かされ用いられるなら、自然な慈しみの心を育て、人の心を良い方向に築き上げるものとなり得るだろう事を。