ダメ男 彼女できても ダメ男

 近頃は、ガールフレンドの一人もいない男に「とりあえず彼女作れ」と、ありがた〜い忠告をしてくれる人が男女ともにいるものです。
 そういう主張をする人にとって、ガールフレンドの数とは男の魅力と社会性を量るバロメーターであり、ましてやそれが一人もいないとなると「人格的に問題がある」ということにされてしまいがちです。
 しかし、はっきり言います。これは大間違いです。ガールフレンドがいる人が必ずしも人格的に優れているかというと、そんな事は全然ないのではありませんか。彼女はいるけど、相手に暴力をふるうとか、金に汚いとか、浮気性で無責任とか、そういう話は腐るほど聞くのではないでしょうか。逆に、彼女いない暦=年齢の人だからといって、必ずしも人格的に問題があるとは限りません。むしろ真面目だったり誠実だったり勤勉だったりする事もあります。そう考えると、男の人格の優劣をガールフレンドの有無で決めるなんて、何て精度の悪いバロメータなのでしょう。

「友達」の前に「恋人」を作らせる?

 大体、「とりあえず彼女作れ」と忠告する人は、その人のどの部分が欠けていると思うのでしょうか。「良い身なり」? 「コミュニケーション能力」? 「女性に対する気遣い」? 「決断力」?
 なるほど、これらは人間が社会を生きていく上で必要なのは確かです。全ての人ではないにしろ、これらが欠けているモテナイ君たちもいるのは、なるほど事実かもしれません。
 しかし、果たしてこれらは恋愛でしか学べないことでしょうか。それに、恋愛にしか必要ない事でしょうか。
 加野瀬未友氏は、自身のブログで

男オタクの脳内の女フォルダは「他人」「親族」「彼女」しかない
という素晴らしい格言を聞いた。要は「知人」「女友達」という概念がないのだ。よくある男オタクが絡んだ恋愛での何ともいえないエピソードというのは、「他人」から「彼女」にいきなりグレードアップさせてしまおうとした結果のトラブルなんだろう。

(「男オタクの脳内の女フォルダは「他人」「親族」「彼女」しかない」――ARTIFACT@ハテナ系

と書いています*1が、これは何もおたくに限った話ではなくて、「とりあえず彼女作れ」というありがた〜い忠告をするミーハーな一般人にも似たような傾向を感じるのは私だけでしょうか。
 なぜって、喪男(モテナイ君)たちの“足りない”「良い身なり」やら「コミュニケーション能力」やら「女性に対する気遣い」やら「決断力」やらを、家族や学校や会社で実践させたり「知人」「友人」*2を作ったりさせながら解決する代わりに、最初からいきなり「彼女」を作らせて解決しようとしているのですから。そりゃ、いくら何でも飛躍し過ぎでしょう。
 大体、家族や学校や会社で良い人間関係を築くのが難しい人が、いきなり彼氏になったからといって、その「とりあえず」くっつけられた彼女もいい迷惑ではありませんか。いい加減、物事には優先順位がある事に気付かなくてはなりません。

「とりあえず」作らされる彼女は「道具扱い」

 「彼女をあてがってモテナイ君を“更正”させる」という「彼女メソッド」には、もう一つの欠点もあります。それは、くっつけられる彼女が単なる「道具」に貶められてしまっている事です。
 人格的に円熟した人が彼女を作るなら、その人も相手を一個の人格を持った人間として扱うでしょうし、良い結果で終わるかもしれません。しかし、モテ男にしろモテナイ君にしろ、自分の欲望を満たすことを最優先にする利己主義者に彼女をあてがうとしたら、相手が可哀想ではありませんか。
 たとえば、世間はおたくに人気のある二次元美少女コンテンツを「少女をあたかも“自分の思い通りに操れる存在”であるかのように、自己中心的な欲望の眼差しで描いている」などと非難することがあります。あるいは危険思想であるかのように扱うかもしれません。*3
 しかし、その意見が仮に正しいとしても、だからといって、そういう作品が好きなおたくに「彼女を作って“更正”してもらう」なんて、ひょっとしてギャグですか。本当に「危険思想に傾倒している」などと思い込んでいるのであれば、そんな人にいきなり生身の女性をあてがうなんて発想が出てくるのは、非常識もいいところではありませんか。当人が「利己主義的な欲望を抱いていて」「人に対する気遣いを学んでない」というのであれば、そんな状態のままでは、相手の女性を、自分の欲望のままに支配する道具として操る危険性がある、それくらい気付かないものでしょうか。
 「とりあえず彼女作れ」などと考え無しに言う人は、女性を別の意味で道具扱いしています。つまり、その彼女とやらを「おたくを二次元美少女コンテンツから離れさせるための道具」くらいにしか考えておらず、その彼女自身の福祉なんか考えちゃいません。


 もちろん、彼女のいないモテナイ君が、すべて上に挙げたような人間であるとは限りません。大抵は、良識をわきまえた人間ばかりです。清潔な身なりで真面目で誠実な人も数多くいますし、老若男女を問わずどんな人にも良い気遣いを示せる立派な人も中にはいます。誤解のないよう補足しておきます。

「彼女を作る」前に根本を直せ

 ここで結論です。

  1. ガールフレンドがいっぱいいる事=人格的に問題がない事、ではありません。
  2. 「良い身なり」やら「コミュニケーション能力」やら「女性に対する気遣い」やら「決断力」やらは、恋愛以前に、人間の社会生活一般に必要とされる分野です。
  3. 大体、それらが著しく欠けていると思うなら、「彼女を作った後に直す」のではなく「彼女を作る前に直す」べきです。
  4. 社会は女の子だけではありません。「女の子に優しくする」という狭い範囲の努力ではなく、「老若男女みんなに優しくする」という広い範囲の努力を目指すべきです。
  5. おたくも一般人も、「他人」をいきなり「恋人」にステップアップさせるのは無謀です。
  6. ダメ男に彼女ができただけで人格が変わらなければ、ダメ男のままです。
  7. おたくも一般人も、女性を道具扱いするのは失礼です。
  8. 「彼女」は「魔法の万能薬」ではありません。「彼女を作る」といういわゆる不純な動機だけで立派な人格を簡単に培えるなんて漫画みたいな作り話を信じている人は、現実に帰りなさい。

補足(2006/08/15)

 私が「恋人を作る前に、まずは友達を作れ」と書いたのは、「人間関係を恋愛だけで学ぼうとするな」という意味、そして、「恋愛とは関係なく、老若男女幅広い人間関係を経験することが大切だし、必要あらば後々恋愛にも役立ってくるだろう」という意味です。*4決して、「女友達さえ漫然と作れば自然と恋愛につながる」という意味で書いたのではありません。
 もし、あるモテナイ君が「自分はコミュニケーション能力とか、他人に対する気遣いとかが足りないし、その状態で恋愛できるものだろうか」と不安に感じていたとします。そんな時、たとえば、同級生や会社の同僚の女性と話し相手になってみよう、これもいいと思いますが、別にそれだけの狭い意味に限定するのはいかがなものでしょう。たとえば、今は帰省シーズンですが、帰省先のおじさんおばさん、おじいちゃんおばあちゃんと世間話をしてみるとか、いとこや甥など子供達と遊びに付き合ってみるとか、そういう日常生活の中でのコミュニケーションの、まず簡単にできる部分から始めてみては、という提案です(その段階抜きで、いきなり彼女と、なんて、ゲームに喩えるなら、レベル1でラスボスと戦うくらい大変な事です)。そこでコミュニケーション能力とか他人に対する気遣いとかを磨くなら、人間関係に自信を付けることになり、きっと恋愛にも一部転用できるのではないでしょうか。
 「ただ彼女を作って性関係を結べば恋愛関係に自信がつく」とか「買春すれば、うんぬん」という俗流恋愛論は世間に蔓延していますが、これを鵜呑みにするのは危険です。これは、恋愛関係とか結婚関係はセックスがすべてだと言っているようなもので、また性関係をあたかもゴールであるかのようにみなし、その後の二人の関係を全然考慮に入れていない考え*5なので、私はこの意見には断固反対です。このような意見を「友達関係を構築する訓練をちゃんとしないまま、ただエサのニンジンを目前にぶら下げながら、いきなり彼女を作らせるようなもので、こんな付け焼き刃は無意味だ」という意味で書いたのです。
 なお、言うまでもないことですが、知人や友達との付き合いは、常識的な範囲である程度選ぶべきです。現状を理解しようともせずに非モテを蔑視するモテの論理を無理矢理押しつけてくるような人々と深く付き合うのは、かえって害の方が大きいし、そんな有害な“友達”を作るよりは、独りぽっちの方がマシというものです。逆に、良き相談相手、根回しのうまい人、そして特に自分を良く理解してくれる人生の先輩がいると心強いものです。
 『男オタクの脳内の女フォルダは「他人」「親族」「彼女」しかない』という記事では、「知人」「女友達」について注目していましたが、もう少し細かく分類すると「恋愛関係のない知人」「恋愛関係のない友達」「恋愛を前提とした友達」でしょう。一番最後ばかり注目して、前二者を忘れてはいけません。恋愛感情のない女性の知り合いや友人も大切にしたいものです。もちろん、恋愛を前提とした付き合いではないのですから、相手を彼女扱いしてはいけません。行動には常に一線を引くことをお忘れなく。


 次に、脚注に「まずはいっぱいお話をして良いお友達になって、それから恋人になるのが筋だろう」と書いたことについてです。
 読者の方から頂いたコメントでのご指摘の通り、もし単なる話し相手ではなくて恋人や結婚相手を探しているのであれば、「友達」段階の時点で、ここから本当に恋人や結婚相手にステップアップ出来る関係になり得るかどうか、ちゃんと見極めるのは、そりゃ当然といえば当然です。世の中には、モテナイ君を騙していいように利用する、結婚詐欺まがいの悪質な女性も存在するので、この見極めは当然必要です。
 当然過ぎる位なのであえて書かなかったのですが、確かに説明不足でした。先に挙げた「ただ性体験をすれば恋愛につながる」というのが間違いなのと同じで、ただ漫然と女友達を作れば、あとはどうにかなると言う意図はありませんでした。


 説明不足な部分も多かったため、ここに補足します。誤解してしまった方にはお詫びします。また、時間を割いてわかりやすく解説してくださったgさんに感謝します。

*1:これは私にとって恋愛シミュレーションゲームを取っつきにくいと感じた最大の理由の一つです。まずはいっぱいお話をして良いお友達になって、それから恋人になるのが筋だろうと思っていましたが、この種のゲームでは、スクリーンの中の女の子が最初からいきなりまるで恋人のように馴れ馴れしく話しかけてくるのには、面食らってしまいました。

*2:2006/08/15補足:ここでいう「知人」「友人」とは、異性の知人や友人という狭い範囲に限定されません。老若男女幅広い範囲の知人や友人という意味です。

*3:これは飽くまでも一般に見られるステレオタイプな意見を、その矛盾を突く為に紹介したに過ぎません。誤解のないように付け加えておくならば、二次元美少女コンテンツと一口に言っても幅広い種類のものがあります。小動物の可愛さに似た純粋な可愛さとか、初恋の気持ちに似た純朴な愛情など、比較的健全な内容を扱った作品は数多くあります。相手の女性を自分の欲望のままに支配する道具であるかのように扱う作品は、全体からすれば一部ですし、そのような傾向の作品は別におたく系コンテンツに限ったことではなく一般の成人向コンテンツの一部にも共通して見られる問題です。

*4:だからこそ、本文で「しかし、果たしてこれらは恋愛でしか学べないことでしょうか。それに、恋愛にしか必要ない事でしょうか。」とか、「大体、家族や学校や会社で良い人間関係を築くのが難しい人が、〜」と書いたわけですが、説明不足のまま「男オタクの脳内の女フォルダは「他人」「親族」「彼女」しかない」を引用してしまったので、訳わからなくなってしまったみたいです。ごめんなさい。

*5:「それからふたりは、いつまでもしあわせにくらしました。」で締めくくるのが許されるのは、おとぎの世界だけです。