おたくバッシングの紋切り型、「代用品」理論

 私が思うに、おたくバッシングにしばしば引き合いに出されるのが、「代用品」という考えである。

よく耳にする紋切り型と、その背後にある思想

  1. おたくは友達がいないので、パソコンを友達の代用品にする。
  2. おたくは成人女性に相手にされないので、アニメやゲームのバーチャルな少女を代用品にする。
  3. おたくは成人女性に相手にされないので、美少女フィギュアを代用品にする。
  4. おたくは成人女性に相手にされないので、幼女を代用品にする。
  5. おたくは少女漫画や少女アニメをポルノの代用品にする。
  6. おたくは金をケチって、メイド喫茶をキャバクラ(女性が接待して酒をついだり話し相手になったりするパブ)の代用品にする。

 このような意見の背後には、「おたくの世界の物事は、自分たちの世界の本物より劣ったニセモノ、模造品、代用品」という思想があるように思える。そして、本物を手にせず“劣った代用品”の方に夢中になっているからキモい、といったところだろう。

“代用品”で寂しさを紛らわすのは間違いか

 もちろん、そのような人も全くいないわけではない。友達がいない寂しさをパソコンで紛らわす人、彼女がいない寂しさを美少女ゲームやフィギュアで紛らわす人などはいる。
 しかし、これは喩えるなら「熊のぬいぐるみ」とか「ペット」のようなものではないだろうか。テディベアを抱きしめると、孤独が癒されるという人はちっちゃい女の子だけでなく成人女性にも多い。子供が家を出て寂しくなったので、ペットを飼うようになったという老夫婦もよく見かける。そして、寂しさを美少女系アイテムで紛らわすという男性も、大方は似たような感覚なのではないか、と私は推測する。いい年した大人がテディベアを抱きしめるのも、ペットのワンちゃんに口移しでエサをやって溺愛するのも、美少女フィギュアをナデナデするのも、端から見たらキモいかもしれないけど、少しくらいの事ならそっとしといてやれよ、と思うのは私だけだろうか。

全てが必ずしも“代用品扱い”ではない

 それに、テディベア好きがみんな人間の代用品としてぬいぐるみを使っているわけではなく、単なる飾り物としてとか、手芸趣味として好きな人も多い。それにもちろん、テディベアは本物の熊の代用品ではない(大抵の人は、本物の熊は噛み殺されるから嫌いなはずだ)。
 同じように、アニメ等のヒロインやフィギュアは必ずしも生身の女性の代用品として扱われているわけではない。「アニメでないと表現できない良さ」とか「フィギュアでないと表現できない良さ」というものもあり、それは本物の人間を一ダース集めてもとても代用になるような問題ではない。これは、本物の熊の可愛らしさと、テディベアの可愛らしさとは別物であるのと同じだし、たとえ家族に愛する配偶者に加えて愛する子供が四人も五人もいたところで、ペットの犬や猫にはまた違った愛情が生まれるのと同じである。実在の人間は実在の人間、アニメはアニメ、フィギュアはフィギュア、それぞれ違う芸術である。金子みすゞの詩じゃないが、みんな違ってみんな良い。

“代用品”理論に時々見られる二重基準

 最後に、おたくバッシングの根拠として先に挙げたような「代用品」理論を挙げる人の中には、とんでもない事を言う人もいる。片や、女性の“代用品”としての漫画やゲーム等の美少女コンテンツを否定しながら、一方で実写ポルノや娼婦といった、これまた“代用品”を薦めるといった二重基準であり、結局は同じ穴のムジナである。


 誤解を防ぐ為に最後に付け加えておくが、おたくの活動力の根底には大抵エロがある、というのは偏見である(ましてや、成人女性に相手にされないから幼女に手を出すなどと決め付けるのは愚の骨頂である。そんな事などとても可哀想で出来るはずもないという人がほとんどだろうし、血統書付きの犬や猫が買えないからと言って、代用品として熊の出没する山中に行って子熊をさらって来るのと同じくらい、無意味でもっと危険な事である。そんな“勇気”があるくらいなら、それ以前に彼女の一ダースや二ダースはとっくに出来てておかしくない)。もちろん、そういう人も一部、いないわけではないが、そうでない人も意外と多い。私自身、男性にしろ女性にしろ、たくさんの漫画やアニメのファンと知り合ったが、いわゆるロリコンものが嫌いな男性ファンも、同性愛ものが嫌いな女性ファンも大勢いる事をよく知っている。そして、彼らがたとえ少女漫画が好きだったり、少年漫画に熱を上げていたりしても、それらをポルノの代用品であるかのように読むなどという考えは、頭にすら上ったことがない。純粋に、作品自体の魅力を楽しんでいるだけである。
 ところが、このような現実を認めようとしない人も多い。「男が少女漫画を好きだなんて、絶対わからない。どうせ変な下心があるに100%決まっている」、と勝手に決め付けるのである。しかしこれは、自分がその作品に“美少女が出てくる”以外の特徴を発見できなかった観察力の鈍さの表れだろう。そんな表面的な魅力や即物的な魅力ではなく、作品の奥深い魅力を味わうのが本物のおたくというものであるし、「キャラ萌え」(つまり作品のヒロインのアイドル的魅力だけに寄りかかってストーリーがイマイチな作品)な作品はあまり好みではない、という人も意外と多いものである。