“秋葉原はオタクの聖地”か

 何を勘違いしているのかと言いたい。秋葉原は江戸っ子の住み処だ。私を含めたおたくは、その“江戸っ子の住み処”にお邪魔しているよそ者に過ぎない……と、時々言いたくなる。

 「秋葉原はオタクの街」という言い方は、確かに秋葉原はおたくの沢山やって来る街だから、そういう意味では真実だろう。しかし“秋葉原はオタクの聖地”という言い方は、もちろん前後の文脈によって意図は異なるだろうけど、時々私は「これは違うだろう」と思う事もある。

 「おたくなら一度はアキバ詣でしたい、そんな街」という意味で「聖地」と呼ぶのなら良い。しかし、「秋葉原は俺たちおたくだけの安住の地だ、よそ者の一般人は来るな、邪魔だ」という考えが背後にあるのなら、それはちょっと違うのではないかと思う。

 秋葉原はおたくだけの街ではない。秋葉原駅はJR各線や地下鉄やつくばエクスプレスを乗り換える大勢の一般客の為のものでもある。電子部品店に来る電子工作マニアは、飽くまでもその店の売上のごく一部を占めるに過ぎない。電子機器メーカー等の研究・開発スタッフこそ、そのような店の大口顧客であることを忘れてはならない。地元住民もたくさん住んでいる事は、昌平小学校を見れば明らかだ。下校時間にランドセルをしょった小学生がPCパーツ激戦区や中央通りを歩いている様子は、よく見かける光景である。

 秋葉原という街は決して“おたくだけの安住の地”などではなく、他の一般人とも共存している事を忘れてはならない。確かに、同好の士が多く来訪していて心強い街である。よそではなかなか手に入らない電子部品やパソコンパーツやアニメグッズが簡単に手に入る街でもある。昔はどこか男臭くて殺伐とした雰囲気の街だったけれど、最近はあちこちで見かけるメイドさんの格好の店員が、そんな空気を穏やかに和ませている。しかし、それらがアキバで許されるのは、一般常識として、周りの人々、特に地元住民と摩擦を起こさないよう気を付ける事が前提である。

 三年ほど前、末広町会(地元の町内会)が、ある美少女ゲームショップに面する道路を完全封鎖してバーベキュー大会を行い、その店舗を開店休業状態に陥れた事が秋葉原通の間で話題になったが、地元住民の日頃の不満が原因ではないかとも噂されている。私が「地元住民を怒らせるな、彼らと摩擦を起こすな」と言いたいのは、こういう事である。つまり、もしアキバの店舗とか我々来訪者といったよそ者が地元を荒らすような真似をするなら、最悪、オタクショップ群が秋葉原を追い出されてしまうかもしれない、という危機感を、果たして我々は持っているだろうか。そうならないためにも、秋葉原は“おたくだけの安住の地”ではなく一般人とも共有している地域である事を認識し、時と場所をわきまえた行動をすべき事は、ごくごく当たり前の事である。

 私は何も、単純にパソコンマニアやアニメマニアだというだけで劣った人間と決め付けるような人に屈服しろ、と言いたいわけではない。しかし、そうみなす心の狭い人間がいるからと言って、自ら進んで本当の劣った人間になる必要なんて全然ない。むしろ、そういう人を態度で見返してやろうではないか。「あいつらの趣味はすごく変わってて自分たちは全然理解できないけど、行状は立派だし、身なりも好感は持てる」、このように思われることを目指したいものだ。

 そして、行く行くは、「全然理解できない」から「この分野なら理解できる」に変わって、従来マニアの文化だと思われていたものの裾野が一般人にも広がって欲しい(もちろん、健全な分野において)という思いも私にはある。最近「電車男」「アキバ系」「萌え」「メイド喫茶」という言葉をテレビで頻繁に見かけるようになった。これはうまくいけばおたく文化の認知と一般化につながるが、下手をするとおたくバッシングとか興味本位なおたくウォッチングの格好の題材にされてお終いである。平成のマニア受難の時代が始まって十数年、このまたとないチャンスを活かすも殺すも、我々おたく一人一人(それに加え、オタクショップの良識)の肩にかかっている。