虚構の世界を現実に持ち込もう

 「現実と虚構を識別できない」とは、「おたく」の枕詞としてしばしば侮蔑的に用いられる言葉である。

 だが私は誤解を恐れずあえて言う、必要あらば、虚構の世界を現実に持ち込め!と。

 私は小・中学時代、国語の成績そのものは良かったくせに、作文、特に読書感想文が大の苦手だった。それは何故かって、いくら感動できる本を読んだところで、すぐ思い付く感想は「へぇ」しか書けなかったからだ。これには様々な理由があるが、作品を表面的にしか読んでおらず、登場人物に深く感情移入できなかった事、それゆえに作品の虚構の世界を自分のものにできなかった事が主な原因ではないか、と思う。

 幼年時代と言えば普通、おとぎ話の世界は本当にあるものであるかのように大人から教え込まれ、本人もそう思い込んでいるのが一般的である。テレビの人形劇の人形は「中の人」が操作しているのではなく、本当に生きていると思うかもしれない。サンタクロースがプレゼントを持ってきてくれることを信じたり、幽霊が出るのが恐くて夜中に墓場の近くを通るのを怖がるかもしれない。

 ところが私はそのようには教えてこられなかった。人形劇には「中の人」がいることも、サンタクロースの正体は親だということも、幽霊など作り話だという事も、物心付いた頃からしっかり教えられて育ってきた。おとぎ話などフィクションは飽くまでも「作り話」であって、本当の世界だと思ってはいけない。まだ小学校にも上がってない私はそう教えられてきた。

 ところが小学校では、特に低学年では、おとぎ話がまるで現実でもあるかのように教えられる事がある。もちろん私はそれが作り話だとは知っていながらも、テストにはテスト作成者の期待通りの答えを書いて、満点だかそれに近い点数だかをもらっていた。しかし困ったのが作文だった。おとぎ話の風の妖精が自分の前に現れたという内容の作文を書きなさい、という課題が与えられた時、「それは作文に嘘を書くことで、本当はいけないことだ」という罪悪感を薄々抱きながら、どうにかその課題を片付けたのを今でもよく覚えている。言葉を換えるなら、当時、こういう作文を書くことは「現実と虚構を混同する良くないことだ」と思い込んでいた。

 昔、読書感想文を書こうとする時、まず困ったのが、私自身の人生経験の浅さから、主人公にそれほど深く感情移入できなかった事である。どちらが善玉でどちらが悪玉かとか、主人公が一番心配している事は何かとか、そういう表面的な事は読み取れたけど、かなり入り組んだシチュエーションとか感情となると、私には少々理解するのが困難だった。たとえるなら、少女漫画を一度も読んだ事のない男性が、典型的な恋愛もの少女漫画を読んだところで、「よくわからん」と思う、まあそんな感じに少し近かった。

 それではどうすれば良いか。主人公に感情移入する事を学ばねばならない。そしてそれには、読書の想像の世界に自分自身が入り込む事が必要だ。しかし当時の私は、その世界に完全に足を踏み入れることはできなかった。いや正確に言うなら、それを文字の形で公にすることは恥ずかしい事だと、どこか必要以上に尻込みする傾向があった。後に私自身も人生経験を積み、文章を沢山書くようになり、最終的にそれを完全に克服するには、何年もの歳月を要したものだった。蛇足ながら付け加えると、さっき少女漫画の喩えを引き合いに出したが、私がこれを克服できた時、同時に少女漫画の読み方もわかるようになったし、逆に少女漫画の読み方を知る事(と、もちろん現実の人生経験を積み重ねた事も。念のため)で、活字の本の主人公への感情移入もなお深く学べたように思う。


 このように、読書の想像の世界に入る事は、読書の楽しみであり、学校教育でも推奨…どころか、このように必須の教育となっている。ところが、漫画やアニメの世界となると途端に態度を変える人は少なくない。最初に挙げたように「そんなのに夢中になってたら、現実と虚構を識別できなくなる」うんぬんと、紋切り型が待っている。

 そのような紋切り型を持ち出す人の気持ちも、わからぬではない。確かに、一部に見られる、反社会的で不道徳な作品の想像の世界に入る事は、控え目に言っても、薦められたものではない。また、フィクションの世界の常識を、現実でもそのまま通用するかのように思い込むのも、愚かな行動である。(加えて、活字の本を読むことをおろそかにするな、もっと読めと発破を掛ける意図があるのかもしれない。)

 しかし、それは読書だって同じ事である。本当に重要なのは、フィクションを楽しむか否かとか、活字の本かどうかではなく、自分の鑑賞する作品をきちんと選び、悪影響を受けないよう警戒するといった事ではないか。フィクションの世界そのものや、その想像の世界を楽しむ事や、その世界で得られた事を現実に生かす事、それら自体は必ずしも悪ではない。それどころか、うまく活用するなら、学校教育で多くの人が経験してきたように、現実世界を生きるための良き糧となるだろう。また、フィクションの世界は科学発展の原動力ともなってきた。古くはジュール・ヴェルヌなどのSF作品が科学技術への夢を人々に与え、その幾つかは現実のものとなってきた。特に日本では鉄腕アトムドラえもんの影響を受けてロボット工学に目覚めた人も少なくないし、それは恐らくそう遠くない将来、現実のロボットとなって私たちの生活に反映されていくに違いない。このように、是非とも、虚構の世界を良い方法で現実に持ち込もう。