小学同級生殺害事件考

 インターネットに姿を見せる一人一人は、地球上のどこかに必ずいる。実名はもちろんのこと、匿名であってもその「中の人」は必ず実在する。回線の向こうにいる同級生は決してバーチャルなキャラクターなどではなく、感情を備え持つ生身の人間であったことを忘れてはならない。

 インターネットは仮想人格での付き合いだから犯罪が起きるのではない。インターネットは架空の世界ではなく現実であり、インターネットでの迷惑行為は現実の誰かを傷つけるし、インターネットの犯罪は現実の犯罪である。その現実を忘れ、「中の人」があたかも架空の人間であるかのように「仮想人格での付き合いだから何をやってもよい」と甘く見ているなら、犯罪が起きることがあるのだ。

 もちろん今回の事件はそればかりを原因の全てと決めつけるなら片手落ちもいいところだろう。その一つとして、たとえば我慢強さに著しく欠けすぐキレる傾向があるなら、たとえインターネットがなくとも、手紙や交換日記や電話、あるいは直接面と向かっての悪口であっても、同じような事件の起こる可能性はあるだろう。

 さて、インターネットとは手紙文化、文字言語文化への回帰である。インターネットでのコミュニケーション、つまり手紙のように書いて意思を伝達する技術を磨く事は、今や、話す技術を磨くことと同じくらい必要とされている。「電子メールや電子掲示板など本当のコミュニケーションではない」などと言わず、たとえば電子メールなら電子メールの特性を知りつつ、正しく美しいメールを書く技量を身につけるべきではないか。その点、話し言葉の時と同じく、優れた文例から学んだり経験を積んだりする日常の努力は欠かせないだろう。