「奈良市の女児誘拐殺人事件の犯人=フィギュアおたく」説こそ「メディアの強引な〝犯人探し〟」だ

 やーいやーい、馬鹿の一つ覚えやーい。

 まるっきり馬鹿馬鹿しいトンデモ説が登場している。大谷昭宏というジャーナリストの対話も感情もない「萌え」のむなしさという記事によると、奈良市の女児誘拐殺人事件の犯人は、フィギュアおたく的な感情から殺人を犯したのだそうだ。当初は「日刊スポーツ」とウェブサイトだけに載った記事だと思っていたが、その後にも朝のワイドショーにこの人が登場して、その怪しげな説をさも真実そうに語っていた。

 さて、この説は本当なのだろうか。とんでもない。「テレビや新聞に載っている位だから」真実であると思う事ほど勘違いなことはない。あくまでもこのジャーナリストの想像に基づいた臆測であって、真実と決まった訳ではない。例によって紋切り型な表現だが、お前はちゃんとおたく文化について調べたのかと問いたい。問い詰めたい。小一時間問い詰めたい。お前、「フィギュア」とか「萌え」って言いたいだけちゃうんかと。

 まあ、このトンデモ説がいかに正確な根拠を欠いているかについては今更説明するまでもないかもしれないが、念のために説明するとしよう。まず大体、おたくというものは収集を生き甲斐とする生き物である。「傷つけずに溺死」させたのは「少女をまったく傷のつかないフィギュアに」したかったからなどと説明しているが、もしそれが真実なら、その“フィギュア”とやらにわざと無数の傷を付けた(フィギュアおたくなら小さな傷すら気にするのが普通だ)上に、なぜかすぐに手放してしまったのはどうしてか。おおよそマニアの取る行動とは正反対の行動である。

 それに、もし模型好きの気持ちが犯罪に結びつくというのなら、鉄道や飛行機の模型が好きな人は電車や飛行機を自分だけのものにしたくてハイジャックするとでも言うのか。全く馬鹿馬鹿しい話である。同じようにフィギュアおたくも、実在の幼女を略取する事なんてまず眼中にない。そうではなくて模型の方が好きなのだ。いくらでも自分好みの人形が見つかるし、もしなければ自分で作ってしまうほどの情熱だ。鉄道や飛行機の模型が好きな人は模型で満足するのと同じで、フィギュアコレクターもプラスチック製の人形で十分満足するものだ。逮捕のリスクを冒してまで少女を誘拐して自分の物にするなんて、まるっきり馬鹿馬鹿しいことなのである。

 もちろん、犯人がフィギュアおたくである可能性が0%であると言っているのではない。しかし、もし仮に犯人がそうだったとしても、先に挙げたように、それ単独では犯行を行う動機には到底なり得ない。その場合、他の99%以上の平和なフィギュアおたくが持ち合わせていない、別の何かしら危険な要素があったから、犯行に至ったわけである。

 さて、このジャーナリストは、小6殺人の原因探しにメディアが行きついた先という記事の中では逆に、長崎県佐世保市で起きた小学生女児殺害事件の原因を「法律」「病気」「インターネット」「映画」「家族」に強引に結びつけようとする態度を「メディアの強引な〝犯人探し〟」と呼んで非難しているのが何とも滑稽である。それでは、「フジヤマ・ゲイシャ」的な知ったかぶり知識だけを根拠に「奈良市の女児誘拐殺人事件の犯人=フィギュアおたく」と結びつける例の記事も、同じく「メディアの強引な〝犯人探し〟」と呼ばず何と呼ぼう。

2005/01/12補足:誤解する人はあまりいないと思うが念のため。私は、結論から先に言うと、児童を性的に描写し“児童虐待を煽る”と思われて仕方ないほど過激な一部のフィギュアには反対だが、大谷氏の発言も論点がずれている上に問題が大ありで反対、という立場だ。氏が槍玉に挙げた「フィギュア」の前には「エロ」とか「児童を性の対象として描写した」といった修飾語が一切付いておらず、そうではない健全なフィギュアのマニアまで一緒だと誤解されてとばっちりを受けては可哀想である。たとえるなら「中国人強盗団は犯罪者集団」と「中国人は犯罪者集団」くらい大きな違いがある。加えて上にも書いたように、氏の述べる説の前提もロジックも非常に怪しげであり、実際の犯人像とかけ離れたものであった。