“冬彦さん”は死語ですよ

 関西テレビ系列で「マザー&ラヴァー」というドラマが始まった。内容はというと、早い話が、いわゆるマザコン青年をコミカルに描いたドラマである。

 いわゆるマザコンをテーマとして扱ったドラマというと、1992年に放映された「ずっとあなたが好きだった」が有名過ぎるほど有名である。主人公の「冬彦さん」という名前が、そのままマザコン男を表す代名詞として使われるようになって久しい。

 ところが、今度のマザコンドラマはちょっと毛色が違うようだ。冬彦さんの変態ぶりと気味悪さを強調した「ずっとあなたが好きだった」とは、まるっきり異なり、「マザー&ラヴァー」の主人公である岡崎真吾は、働き者で女性にも優しい好青年である。しかし母親のこととなると心配性で世話焼きで、突然母親が心配になったあまり、デートもすっぽかしてしまうといった具合である。

 こんなことを言う私を何とでも言え、しかしあえて言おう、こういうマザコンは健全そのものであると! いや、マザコンと呼ぶ事自体、失礼な事かもしれない。

 世では、そもそもマザコンという程でもなく、単に家族付き合いを大切にして母親と大変仲が良い、それだけのことで「マザコン」だ「冬彦さん」だという一方的な先入観で見て、からかったり中傷する傾向も一部に見られるが、この作品がこういう「母への愛情=マザコン=冬彦さん」というカビ臭いステレオタイプを打破してくれる作品になって欲しいものである。

 さて私が最近思うこととして、大人になっても息子の世話を焼きたがる母親というものがあるが、(箸の上げ下ろしまでクチバシを突っ込むような極端な場合は別として、)「マザコン」とか「冬彦さん」と呼ばれるのを病的に恐れるあまり、いつも「何だよいちいち、うぜぇんだよ」などと邪険に扱うのも、何だか大人げない。確かに、全ての分野で母親に干渉されては自分自身の精神的成長に良くないから、「ここから先は干渉しないでくれ」という境界線を引く事は重要だろう。しかし、その境界線の手前の分野なら、時には心をおおらかに持って、「おふくろもそれで満足するんなら、まあ、仕方ねえなぁ」と思いながらも付き合ってやるというのが大人ってものだし、人生の知恵である。言葉を換えるなら、時には状況に応じて適度な範囲で母親に甘えたふりをして見せて、いつまでも子供に構いたいという夢をかなえてやるのも親孝行のうちである。