まだまだ続く「冬ソナ」ブームの意味するもの

 映画「シュリ」が火付け役となり、その後、日韓共同製作ドラマ「フレンズ」が話題になり、「冬のソナタ」がとどめの一撃として、一億二千万の日本国民に韓国映画・韓国ドラマの底力を知らしめた、ここ数年の日本の韓国映画・韓国ドラマブーム。

 私が2002-06-05に「韓国ブームは終わらない」という題で書いた時には到底予想もできなかった事が、今実際に起きているのは、韓国文化びいきの私としてはうれしい誤算である。それは皆さんご存知の「冬ソナ」ブームである。

 なぜ「冬ソナ」が特別なのか。それは、「シュリ」のような韓国映画BoAのような韓国アイドルが若者にウケるというのとは意味が違い、中高年のおばさんたちまでも巻き込んだブームだからである。この層とは、かつて朝鮮人、韓国人というと露骨に嫌な顔をしたり、そもそも無関心だったりした人もかつて多くいた世代である。戦前戦後、過去に朝鮮人、韓国人とのトラブルで嫌な思いをした個人的経験を持つ人も少なくないだろう。

 そんな、韓国を見下したり無関心だった世代の多くが、今や裴勇俊(ペ・ヨンジュン)のとりこになってしまい、「韓国ドラマってこんなに面白い作品があったのか」とか「韓国人にこんなに格好良くて優しい人がいたのか」ということに実際に気付き初めている。そしてそれをきっかけに、今や老若を問わず、韓国や韓国文化について語るのがどちらかというとタブーだったりマニアックな趣味だった時代は終わりを告げようとしている。

 「千丈の堤も蟻穴(ぎけつ)より崩る」というのは普段は悪い事の喩えに用いられることだが、この「冬ソナ」ブームは良い意味で日本人一般の意識の「壁」に小さな「蟻穴」を空けたと言えよう。映画「シュリ」に始まり、ドラマ「フレンズ」やら、BoAユンソナやら、とどめにヨン様と、ぞろぞろと続く“蟻”たちが、数年前まで韓国政府や韓国の観光協会がいくらがんばっても打ち壊す事のできぬ“千丈の堤”のようにも思えた、日本人一般の韓国文化に対する無関心という壁に、次々と見事に穴を空けてしまい、その結果、韓国文化が日本にどっと流入し、老若を問わず受け入れられるような時代がやってきたのである。

 文化というのは、互いに影響され合いながら成長していく。「冬ソナ」は昔の日本の青春映画や少女漫画の影響を受けているとも言われるが、とは言え、もはや韓国は単純な日本文化の模倣ではなく、今や良い影響は受けつつもクォリティの高いオリジナル作品に仕上げるだけの力が付き始めている(*1)。そして日本も韓国映画や韓国ドラマに触発されたのかどうかはわからないけど、ここのところ優れた映画やドラマが次々と出ている。もしかしたら日本のドラマも「冬ソナ」から良い影響を受けて「純愛ドラマ」ブームが来るだろうか……? 前にも書いたけれど、こういうお仕着せではない自然な形での日韓相互の文化交流こそが、日本と韓国の相互理解および友好を深めることになる、私はそう信じている。

(*1)初出時は「力がある」としたが、実際には詳しく調べてみると、未だにあちこちに日本や欧米の作品の模倣が巧妙に隠されていることがある。まず、「冬ソナ」の主題歌が雅夢の「愛はかげろう」に似ている(これは私もつい最近まで気付かなかった)ことが指摘されている。確かにそっくりである。なお、「冬ソナ」の「恋していた主人公が交通事故で意識不明になり、後に他の人と婚約するが、主人公が意識を取り戻したために心が揺れ動く」というストーリーの骨組みが、日本のある美少女ゲームに似ているのではという指摘がなされているが、この骨組みに代表される記憶喪失ものは日本の古今様々な作品でさんざん使い古されてきたパターンであり、特定のゲームの模倣とは一概に言えないのではと私自身は思う。私はそのゲームをやったことがないしアニメ版も見た事がないのであくまでも臆測だが、そのゲーム自体が日本の過去の作品の骨組みの影響を受けている可能性もあるだろう。