ある意味「気狂いにも公平な」インターネット

 成程狸が狸なら、赤シヤツも赤シヤツだ。生徒があばれるのは、生徒がわるいんぢやない教師が惡るいんだと公言して居る。氣狂が人の頭を撲り付けるのは、なぐられた人がわるいから、氣狂がなぐるんださうだ。難有い仕合せだ。活氣にみちて困るなら運動場へ出て相撲でも取るがいゝ、半ば無意識に床の中へバツタを入れられて堪るものか。此樣子ぢや寐頸をかゝれても、半ば無意識だつて放免する積だらう。
――夏目漱石「坊つちやん」。

 半ばタブーにされてしまっている話題であるが、世の中にはいわゆる「気の触れた方」というのがいる。東京在住の方なら、「首相小泉純一郎参議院選挙後、唯一神又吉イエスに首相の座を明け渡すべきだ。そう出来なければ、小泉純一郎腹を切って死ぬべきだ。のみならず、唯一神又吉イエスは彼を地獄の火の中に投げ込むものである。理由は他人を殺すなら自分が死ぬべきだからだ。唯一神又吉イエスに投票しない有権者も同様である。詳しい理由は選挙公報等で熟知すべし。」という、何とも不気味な文句を選挙ポスターに書いていた今年の参院選候補者「又吉イエス」が比較的印象に残っているかもしれない。渦巻き模様に白装束で「スカラー波」攻撃を防げる、をはじめ、いろいろ奇妙奇天烈な妄想を主張していたある団体の教祖も去年話題になった。

 ごく最近の事例でいうなら、アテネ五輪の男子マラソンで29日、「[キリストの]再来は近い 聖書」と書かれた紙を貼った出で立ちでコースに乱入してブラジルのバンデルレイ・デリマ選手を妨害したアイルランド出身の自称元司祭もその一人であろう。結局彼は逮捕され、この手の人に甘い日本と違ってちゃんと罰せられることになった。こちらは又吉イエスと違ってワハハと笑い飛ばせる問題じゃない。可哀想なのはこれでペースをすっかり狂わされてトップから三位に転落してしまったデリマ選手である。

 普段、この種の気の触れた方が何を主張しているかについてメディアで紹介されることはあまりない。せいぜい、零細出版社から彼らの奇妙奇天烈な主張を載せた書籍が出版されることがたまにある程度だ(この種の本は「と学会」の「トンデモ本」シリーズに詳しい)。あとは参院選選挙公報又吉イエスみたいなのが載ることもあるが、候補者や党の主張をそのまま載せなくてはいけないと決まっていて、新聞社もそのまま載せる事にしている。

 さてインターネットはというと、良く言えば全く自由に彼らの主張をウェブサイトで公開できる、悪く言えば全くの野放し状態、である。よく見かけるのが被害妄想系で、「電磁波によるマインドコントロール兵器の被害に遭っている」とか「誰々に執拗に嫌がらせを受けている」とか「ある店でひどい扱いを受けた」の類のトンデモ告発サイトは多い。これらは告発は告発でも、まともな告発サイトとは毛色が違う。読んでいてまともな人が書いてるとどうも思えず、事実誤認や辻褄が合わない部分があったり、「これは統合失調症の症状だろう」と思う部分があちこちにあるのがこの種のサイトの特徴である。自分こそ掲示板荒らしとか中傷などの迷惑行為を何十回も繰り返しているのに、それを棚に上げて他人を掲示板荒らし扱いしたり、些細な過ちを針小棒大に糾弾したり、根も葉もない悪質な噂を広めたりするような人もいる。

 また、トンデモ学問系とか、トンデモ文芸系のサイトというものもいろいろある。まあたとえどんなデタラメを言っていようが、自分のサイトだけで完結していれば、そして誰かを中傷したりしてなければ、誰も文句言わないだろう。それなら良いのだが、残念ながら一部に迷惑サイトがある。どことは言わないが、自作の詩とかサイトの宣伝を不特定多数の掲示板にスパム投稿するようなサイトが一部にあり、あちこちで顰蹙を買っている。

 私がこの話題を出したのは、精神病患者一般に対して何か悪い感情があるからではない。むしろ私は周囲の人が気味悪がるほど、精神病を抱えた人に寛容であると自負している。ただしその人が他人に危害を与えないならという条件付きであるが、私の人生経験の限りでは、その条件に合う人もむしろ多い。誇大妄想ゆえに周囲の人が気味悪がって話し相手にならなかった統合失調症気味のオジサンの相手をしたことが何度あるだろう。鬱病である・だった人も知り合いに何人もいて、中には自殺した人もいる。工事業者としてだけど、精神病院の鉄格子の中に入った事もある。うちの掲示板に鬱や精神病的症状の見られる人が書き込みをしていても、スパム投稿とか中傷のように迷惑をかける人でない限りは原則として受け入れてきた。

 最後の事であるが、残念ながらインターネットでは、ある人が精神病による妄想や幻覚に基づいて他人を非難しても、本人が正気で言ってるのか妄想なのかを見分けるのが時に困難な事もある(もちろんインターネット外でもそのような事があり、周囲の人に見当違いな非難ばかりしていたある人が精神的におかしい事を何ヶ月も見破れなかった事を私自身体験している。しょっちゅう付き合っていた人はすぐ気付いたらしいが、たまにしか会わなかった私たちは、その人が引っ越していく時に我々に何とも失礼な別れの挨拶をしてやっと気付くまで、ずっと信じられなかった事を覚えている)。「その人が間違った事わざと言うわけがない。あなたが悪いんでしょう」と、夏目漱石の言葉を借りるなら「なぐられた人がわるい」ことにされてしまうことも多い。

 精神的におかしい人に危害を加えられる事は、半ばタブーとされているデリケートな問題を含むだけに、一旦濡れ衣を着せられると、それを晴らすのが大変なことも多い。とは言え、悪いことにされてしまった「なぐられた人」も、必ずしも、死ぬまでこの状態が続くとは限らないだろう。非難した本人が「どこかおかしい」ことの尻尾が、いつ出て、みんなも納得してくれる日が来るかわからない。あるいは濡れ衣を晴らすまでに至らなくとも、時の経過と共に攻撃が沈静化するかもしれない。このような事態に陥ってしまった人も、いつか事態が改善される日が来ること、そして精神病の妄想に悩まされている人は、いつかそれから解放される日が来ることを切にお祈り申し上げつつ、今回の文章を締めくくる事とする。