「若者は安易にフリーターの道を選ぼうとしている」か

 ふざけるな。現状を知りもしないのに、他人の受け売りを馬鹿の一つ覚えのように繰り返していい気になるな。自分が正社員であることを鼻にかけて、「正社員にあらずんば職業にあらず、アルバイト・パートは人生の落伍者」などと、堂々と差別発言を繰り返している輩は、明日リストラ解雇されちまえ。そして、自分たちがあざ笑っていたアルバイト仕事でやっと糊口をしのぐしかない現実を自分が体験してみるがいい。

 フリーターの若者が多いのは事実である。しかし、“彼らは正社員として働く気がないぐうたら者だからフリーターになるのだ”というのは偏見である。確かにそういう人も全くいないわけではない。しかし、アルバイト生活を選びたくて選んだのではない人も多いのだ。今の世の中、「不況に便乗したリストラ」「不況に便乗した正社員削減」がはびこっており、正社員よりも、会社としても責任の軽くなるアルバイト社員を雇いたがる傾向がある。本来なら、どこかの会社に正社員として就職したかったのに、求人自体がほとんどないのだから、選びようがない。そしてやむなくフリーター生活を送っているという若者が多いのだ。

 自分が正社員であることを誇ってフリーターを見下しているような人など、仕事というものを馬鹿にしているとしか言いようがない。しかし、たとえ収入が不安定でもしっかり汗水流して働くフリーターがいるなら、その方がよっぽど立派な働き手だ。

 小津安二郎の映画に「大學は出たけれど」とか「東京の合唱」というものがある。どちらも、昭和初期の不況の頃を描いた作品である。なまじ高い学歴を持っていると、たとえ他の仕事が無くとも、プライドが邪魔して、いわゆる3K職業には就きたくないと思うことは、昔も今も同じである。「東京の合唱」の作品中では、主人公が解雇され、せっかく大学時代の恩師に仕事をもらったのに、チンドン屋みたいに町を練り歩いて洋食屋の宣伝をする仕事には非常に抵抗があったし、本人はともかく奥さんが「いくら職がないといっても、世間に肩身の狭くなるような仕事はやめてください」としきりに懇願する。

 しかし、本当に金がないのなら、「世間に肩身が狭い」だの何だのと、そんな贅沢を言ってる暇などないはずだ。大学出のチンドン屋、立派じゃないか。「もっと学歴を活かせる仕事があるだろうに勿体ない」と思って仕事をえり好みするのは、バブル時代の贅沢だ。その自分に合った仕事が見つかるまでは、とりあえず、肉体労働だろうが、3K職業だろうが、アルバイトだろうが、えり好みせずやるしかないではないか。

 フリーター否定論者は「若者がみんなフリーターになったら日本は滅びる」と言うが、たとえ世間に肩身の狭いことのあるフリーターでも仕事をしているだけマシだとは思えないのか。もし仕事をえり好みしてアルバイトにさえ就かない人だらけになったら、日本はそれ以上にもっと悲惨なことになる。私は、アルバイトやパートや日雇い労働も正社員と同じく立派な労働だと思っている。それを、きちんと労働意欲があって働いている彼らを「無職」などと呼ぶのは暴言以外の何物でもない。日本はそろそろ「正社員にあらずんば職業にあらず」という“正社員原理主義”を見直す時期に来ているのではないだろうか。