マルチ商法の欠陥

 最近、あちこちの掲示板で、マルチ商法の迷惑宣伝投稿が見られている。この機会に、マルチ商法の欠陥について書く事にする。

 時々誤解されることだが、「マルチ商法」と「ねずみ講」とは違う物である。後者は法律で禁止されているが、前者は一定の要件さえ満たせば合法である。とは言え、マルチ商法が「ねずみ講まがい」と呼ばれるのには、それなりの理由がある。

 皆さん御存知かもしれないが、ねずみ講とは、親会員が二人以上の子会員を勧誘し、子会員、孫会員らの払った会費の何割かが親会員に払い戻されるというものである。当然、自分の下の子会員、孫会員が多ければ多いほど沢山の金額が払い戻される。子会員を勧誘した後は、まるで権利収入のように何もしなくても大金が転がり込んで来るように思えるが、人生そんなに甘くはない。人口には限りがあるから、子会員の子会員の子会員の……と下の方の会員になっていくほど、新規会員を見付けるのが難しくなってくる。子会員がいないと自分に金が入って来ず、ただ会費を払うだけの払い損である。結局、一番上の親に近いたった数パーセントの会員だけ甘い汁を吸って、下の方の会員は損をすることになってしまうのだ。

 マルチ商法ねずみ講と違い、直接金をやりとりするわけではない。しかし現金の代わりに商品の売買が入るところが異なる。子会員へ売った商品の売上金額から仕入原価や経費を引いた分が手元に入るのはもちろんのこと、親会員が子会員を勧誘すると報奨金がもらえるようになっている。


 ねずみ講と異なるもう一つの特徴が、必ずしも子会員を作らなくてもよいところである。たとえばマルチの販売員にはなりたくないけど(洗剤とか化粧品とか)商品だけは使いたい、という場合は、ただ買うだけの会員になればよい。このような会員の事を「消費会員」と呼ぶ。


 さて結論から先に言うならば、マルチ商法のシステムそのものが悪いとは必ずしも言い難いところがある。しかし問題性を抱えたシステムであるのは確かだ。それは「販売員」と「消費会員」のバランスが崩れた時である。

 マルチ商法が健全な組織であるためには、「消費会員」が一定数以上いる必要がある。しかし、「消費会員」が少なくなり、「販売員」が増えた時、このシステムはねずみ講にだんだん近付いてゆく。「良い商品を口コミで広める」から「自分の子会員をどんどん獲得して楽をする」に目的が変化していく。ねずみ講と同じで、一番上の親から離れれば離れるほど、新規会員を見付けるのが大変になる。それに、ひどくなると、扱っている商品も、もはや使えるか使えないかはどうでもよくなる。ちょうどパチンコ屋の特殊景品みたいに、単なる現金の代用と化してしまうのだ。

 それでは「消費会員」が多ければ大丈夫という結論になるが、実際にはこれもなかなかうまくいかないものである。一つは人間の欲が邪魔していることだ。自分の子会員が単なる消費会員でいるよりも、販売員になってくれれば、もっと沢山の金額が自分に払い戻されるのだから当然だ。


 次に、マルチ商法の商品は一般的に割高であることだ。化粧品のように高くてもみんな買ってくれる(逆に安過ぎると買ってくれない)商品なら消費会員も結構付くものであるし、販売員の勧誘より商品の販売に重点を置いたシステムである限りは、ねずみ講的なトラブルをそれほど多く聞かないように思う。しかし一般商店より高い商品となると消費会員はなかなか付かないものだし、商品の販売よりも販売員の勧誘で儲けるしかなくなってくる。商品を安くすりゃ良いかというと、それもできない。親会員らの儲け分が商品の価格のかなりの部分を占めているし、値引きも禁止されていることが多いため、マルチの商品はそんなに安くすることができないのだ。結局、オーバートーク(大袈裟な効能の紹介等)やしつこい勧誘や洗脳まがいの販売会によって、うまく押し売りするしかなくなる。しかしまあ、ガソリン代なら一円でも安いスタンドを探すという人が、マルチとなると一般商店の何倍もする洗剤を買うなんて、気狂い沙汰としか言いようがない。

 私が「マルチ商法には根本的な構造的欠陥がある」と言うのは、このためである。マルチ商法にかかわる前に、よく算盤をはじいて、それが本当に割に合うビジネスなのか、それともねずみ講まがいの割に合わないビジネスと化する危険があるのか、しっかり検討していただきたいものだ。