かわいいは、礼儀!

(特にこの題名に対する誤解を防ぐために、まず最初に断っておきますが、ここで言う「かわいい」とは、容姿の事だけを言っているのではありません。)

 「ハローキティ」等の主に女の子に人気のキャラクターから、「かわいいは、正義!」がキャッチフレーズの、主におたく青年に人気の漫画「苺ましまろ」に至るまで、日本は「可愛らしい」キャラクターというものであふれています。多くの人が述べるように、日本文化とは、「かわいい」を重視する文化です。
 その一方で、「可愛いという感情は、自分より下の無力な存在を支配したいという欲求の表れだ」という説を唱える人も一部にいます。特に、アニメ等のおたくがなぜ可愛らしいキャラクターを好むのかという話題になると、決まってこのような説が登場するものです。
 しかし、私はこの説には少々懐疑的です。人間の自然な感情というものを歪めて解釈し過ぎているのではないかと思わざるを得ません。

無害な存在である事をアピールする「挨拶」と「スマイル」そして「可愛い」

 そんな事を言ってたら、私たちが日常行っている、たとえば「挨拶」を人に求める事も、写真を撮る時に笑ってもらうのも、支配欲の表れという事になりはしませんか。挨拶も微笑みも、言うなれば「武装解除」のような行動、つまり相手にとって自分が無害な存在である事をアピールし、相手に親しみを示している事の表れです。日本的な挨拶である「お辞儀」となると、それに加えて「自分を相手より下の存在に置く、謙遜の表れ」も加わるかもしれません。
 もちろん、これらの行動を「相手を支配したいという歪んだ欲求の表れ」などと解釈する人は少ないでしょう。目下の人は目上の人に、おはよう「ございます」と挨拶しなくてはならない、というように、明らかに上下関係を意識した挨拶があるにもかかわらず、です。「挨拶は人間関係の潤滑油」とよく言われますが、挨拶も微笑みも、正しく用いられるなら、歪んだ支配欲ではなく、むしろ「平和で円滑な人間関係」をもたらすものとなります。
 私は、「可愛い」も、これに類するものではないかと解釈します。相手にとって自分が無害な存在である事のアピールであり、相手に対する親愛の情の表れです。「可愛い」の中でも大人が子供や動物を「可愛い」と思うのは、なるほど上下関係かもしれません。しかし、これは必ずしも歪んだ支配欲とは言えないのではないでしょうか。ちょうど、目下の人が目上の人に敬語で挨拶する事を期待する事を歪んだ支配欲と言えないのと同じです。同じ上下関係があるのなら、ギスギス殺伐とした上下関係よりも、平和で円滑な上下関係の方が良いではありませんか。

「可愛い」が悪用される時

 挨拶や微笑みで表面的には親しみを装っていても、実際には心の奥底で憎しみを抱いているという事は時々見られます。同じように、「可愛い」も、時に上面だけのものになる事があります。
 たとえば、悪徳商法のセールスを行っている女性は、ブリッ子な可愛らしさを積極的にアピールした接客をしばしば行います。まるで自分が無害な存在であるかのように印象づけておきながらも、実際には相手を騙して、ほとんど無価値な商品に何十万円ものローンを組ませるものです。
 逆、つまり「可愛いと感じる側」についても真です。「君は可愛いね」と相手に言ってその気にさせておきながら、実際にはその言葉を自分の欲望を達成する道具にしか使っていない悪い男もいます(結婚詐欺師はその最たる例でしょう)。また、「少女が可愛いと思ったから誘拐した」と紋切り型の言い訳をする誘拐犯も、「可愛い」の悪用例の一つと言えるでしょう。
 可愛いらしさをアピールする事や、相手を可愛いと思うことそのものは、必ずしも悪い事とは言えません。「可愛い」を人の道に反する仕方で悪用する事が悪いことなのです。

おたくはなぜ「かわいい」が好きなのか

 答えは簡単です。おたくだけが「かわいい」が好きなのではなくて、日本人の大多数が「かわいい」が好きなのです。しかし、一般人の「かわいい」のツボと、おたくの「かわいい」のツボが違うだけなのです。
 しかし、なぜ一般人とおたくの「かわいい」のツボが違うのかとなると、これは一言では説明できないかもしれません。しかし私が思い付くところとしては、まず文字派(会話よりも文字の読み書きに強い人)と音声派(読み書きよりも会話に強い人)の違い。おたくは一般的に前者が多いので、後者の「かわいい」と思う感性とは少し違うところで「かわいい」と思うのかもしれません。
 次に、おたくはしばしば白い目で見られており、いじめられる事もある事。そうなると、「自分を受け入れてくれそうな」タイプの存在をとりわけ「かわいい」と思うのは当然の帰結です。たとえば自分を真っ先にいじめのターゲットにするような不良は、どう見てもおたくが好みそうな人間のタイプではありません。一般人だって、自分にいちいち突っかかったりお説教や嫌みばかり言ってくるようなタイプの人間をかわいいなんて思わないでしょう、それと同じです。それを「逃げ」と表現するのなら、まずは自分たちがおたくから「逃げる」事を止めなさい。それはともかく、こういう立場の違いから、やはり「かわいい」のツボが異なってくるのは当然でしょう。
 少々話は脱線しますが、私の観察して興味深いのは、アニメおたくには「犬派」より「猫派」の方が多いように感じられます。「犬耳少女」よりも「猫耳少女」の方が圧倒的に人気である事からしてそうです。「犬派」は「犬は人間の主人に忠実なところが好きだけど、猫は行動が気まぐれだ」とよく言うものですが、人間の主人に服従する犬よりも気まぐれな猫の方をとりわけ可愛いと思うアニメおたくが少なからずいるという事は、彼ら*1の「かわいい」という感情は本当に、自分の目下の存在を手なづけて服従させたいという欲求なのだろうか、という疑問が当然生じてきます。

日本で「かわいい」文化が発展した理由

 日本は比較的治安が良くて礼儀正しい人が多い事や、世界の平均からするならあまりにも「お人好し」なくらい他人を信用する事、これこそが、日本文化が「可愛い」を重視する理由の一つなのではないかと私は思います。つまり、「可愛い」を「未成熟の表れで、自分の弱さを無防備にも他人にさらけ出す危険で愚かな行動」と悪者扱いする代わりに、「自然な親愛の情の表現」「人間関係を円滑にする要素」と好意的な見方をしているように思えます。
 「かわいい」とは日本人にとってある意味、スマイルと同じように言葉の無い「挨拶」のようなものなのかもしれません。苺ましまろのキャッチフレーズをもじって「かわいいは、礼儀!」という言葉でこの記事を締めくくることにしましょう。

*1:もちろん猫派である私も「彼ら」に含まれるのですが。