「キャラ萌え派」はおたくに限った話ではない

萌え理論Blog - 萌えにもロングテールの物語性がある
 最近話題になっている「物語派」と「キャラ萌え派」について。


 ふと思ったのは、「キャラ萌え派」は、おたくではない一般人にもいるのでは、という事。
 スヌーピーが一番わかりやすい例でしょう。日本では、これを新聞漫画のキャラクターとして知っている人は、全体からすると比較的少ないように思えます。つまり、「ピーナッツ」という漫画の物語として楽しんでいる人は少数派です。そして、物語を知らずに単なる犬のキャラクターとして、「スヌーピー可愛い!」と言いながら、スヌーピーの縫いぐるみやスヌーピーの絵の入ったキャラクターグッズを愛用している、という人が大多数です。
 新聞漫画の「ピーナッツ」は、人間みたいに物を考える空想家のスヌーピー、真面目だが弱気なチャーリー、(涼宮ハルヒ並に)自己中なルーシー、毛布を片時も放せないライナス等、個性的なキャラクターが集まって、ギャグから哲学的に人生を語るような話題まで、いろんな物語が展開していきます。
 ところが、これらの物語を全く知らなくとも、とりあえず「キャラクターが可愛い」からスヌーピーの世界に入る事ができますし、新聞漫画のキャラクターとして知っている人であっても、各キャラクターのユニークな個性を面白いと思う人もいれば、子供のキャラクターを借りて語られる人生論を興味深いと思う人もいます。
 私は「物語派」と「キャラ萌え派」のどちらかというと前者に近いので、これまではストーリーばかり重要視する傾向がありましたが、最近、キャラも大切なのだと思うようになってきました。ちゃんとキャラ立ちしているからこそ、そこから魅力的なストーリーが生まれるのではないか、と思います。もちろん、作品にはキャラもストーリーも両方大切です。キャラの魅力にばかりこだわってストーリーがおろそかになっていてはダメだし、逆にあんまりキャラ立ちしてないキャラを動かしてストーリーを作っても単調な駄作に終わるだけ。バランスが肝腎です。


 そして、これは飽くまでも臆測ですが、おたくな萌えキャラに抵抗を感じる一般人の中には、もしかしたら自分自身「キャラ萌え派」だからこそ抵抗を感じている、そんな人も一部いるのかもしれません。ストーリーの方に注目すれば面白い作品であっても、キャラの好みにはうるさくて、キャラの造形が全く自分好みではないからこそ、「何これ、目が顔の半分以上の面積になっちゃってさ」なんて文句を付けるのかもしれません。もちろん、そんな人に「キャラじゃなくてストーリーを見れば面白いよ」なんて言っても無駄だったりするものです。