高学歴社会とブルーカラー離れ

 かつて、小津安二郎の映画に「大学は出たけれど」(1929年公開)という題名の作品がありました。昭和初期の金融恐慌の時代、大学を出たはいいけど、働き口が見付からない、そんな青年の物語です。また、同じテーマを扱った「東京の合唱(コーラス)」という作品も小津安二郎の映画にあり、1931年に公開されています。
 どちらの作品も、大卒のくせに「会社の受付係」とか「サンドイッチマン」の仕事をするなんて非常に抵抗がある、しかし他の働き口はなかなか見付からない、そんな主人公の心情を描いた作品です。特に「東京の合唱」では、本人は仕方なくサンドイッチマンをやる気になっても、奥さんが「いくら職がないといっても、世間に肩身の狭くなるような仕事はやめてください」としきりに懇願するわけです。


 昭和恐慌から半世紀以上も過ぎた平成不況の時代にも、似たような光景が繰り返されてきており、その影響は現在まで尾を引いています。それこそが、フリーターや派遣社員の増加だの、ニートの増加だの、非婚者の増加だの、少子化問題だのにつながってくるわけです。
 このような社会問題が話題になるたびに、「若者のやる気の無さが問題だ」と、非難の矛先を若者に向けたがる人々にもの申します。あなたも原因の一つを作り出しているでしょう、まずは、あなた方自身の行動を振り返ってみてはいかがですか、と。
 平成不況において、大学を卒業した若者は職が全く見付からなかったわけではありません。アルバイトや派遣や肉体労働ならね! しかし、社会に出たからには、本当に金がなければ、「アルバイトは嫌だ、派遣は嫌だ」「大卒なのに勿体ない」「世間に肩身が狭い」なんて、そんなワガママを周囲が言ってる場合じゃないでしょう。そんなのが許されたのはバブル時代までです。「もっと学歴を活かせる仕事に就いて欲しい」、大いに結構ですが、そういう仕事が見つかるまでは、とりあえず、肉体労働だろうが、3K職業だろうが、アルバイトや派遣だろうが、えり好みせずやるしかないではありませんか。
 定職じゃないとダメ、でも周囲がいわゆる「大卒にふさわしい」定職として認める仕事は見付からない、そんな板挟みが、若者を絶望感の淵に追い詰めてきたのです。そんな難局も「やる気があれば絶対乗り越えられる」なんて、ひょっとしてギャグですか。やる気があれば何だって出来るというのなら、竹槍でB29だって打ち落とせます。


 小津安二郎の時代は、大卒は若者のごく一握りのエリート階級でした。それでも大卒の知識を活かせないブルーカラーの仕事に甘んじるほかなかったのです。*1しかし今の若者はほとんどが高卒以上、そして大卒もごくありふれた存在です。となると、事態はもっと深刻です。みんなが高等教育を受ける社会では、ホワイトカラーの人余り・ブルーカラーの人手不足の社会となります*2
 恐らく、ブルーカラーの人手不足という問題は、水面下で少しずつ進行しているのではないでしょうか。しかし、ちょうど不景気で、ホワイトカラーの仕事にあぶれてしまった人が大量に出たために、フリーターという形でブルーカラーの仕事にやむなく就いた、そんな人も多かったために、あえて今は表面化していないのかもしれません。しかし、社会はホワイトカラーの仕事だけでは決して成り立たない事を忘れてはなりませんし、みんなが高等教育を受けたからといってみんながホワイトカラーの仕事だけに殺到したら、そこから社会の歪みが生まれます。


 また、このような高学歴社会が、非婚者の増加の原因の一つなのかもしれません。大学や大学院を卒業し、就職して生活の安定した頃には結婚適齢期ギリギリだったり、大卒女性が珍しくない時代に、相手になるべき大卒男性が、女性の要求するいわゆる「大卒にふさわしい」定職(それも年収600万円以上が最低条件とは!)になかなか就けない、ここらへんから歪みが生まれてきているのではないでしょうか。もちろん、これだけが原因ではなく、もっと様々な原因が複雑に絡み合っています。しかし、大きな原因の一つではないでしょうか。


 若者の雇用問題を「若者のやる気の無さ」で問題を片付けるのは論外として、正規雇用か非正規雇用かという単純な問題でもなく、それが解決したところで今度は、ブルーカラーの仕事を疎む高学歴社会において、誰にその仕事をやらせるかという問題がだんだん浮上してくるのではないでしょうか。「外国人労働者を受け入れればいいや」という安直な解決策ではなく、もっと真剣に考えた方が良さそうです。たとえば、ホワイトカラーの仕事に役立つ教育を施す大学ばかりではなくて、職業訓練を主眼に置き、体を動かす職業に適した人材を発掘して立派な職人として育てるような大学とか、どうでしょうか。

*1:もちろん、ブルーカラーの仕事が劣っていると言うつもりは全くありません。私も一時期やっていましたが、誰かがやらねばならない、人の役に立つ立派な仕事です。それに、一日中坐りっぱなしのデスクワークと違って、適度に体を動かす仕事は健康のためにもなります。しかし、大学で学んだ知識が活かせず勿体ないとということで、ブルーカラーの仕事が敬遠される傾向を問題にしています。

*2:以前からあった農家の後継者不足問題も似た問題かも知れませんし、町工場の職人の後継者不足もまさにこの問題です。