おたく=のけ者集団という呪縛

http://d.hatena.ne.jp/Hayashida/20060601/1149152141

例えばバイクに乗ってる人間の中に、暴走族がいると。で、バイク乗り=暴走族と見られるのは困る、というときに「常識あるバイク乗り」は暴走族的振る舞い(スピードの出しすぎや過度の空ぶかしといった)を自主的に行わないことによって、自分達の属するコミュニティに対する世間の評価を変えようと動くわけすよ。

で、「オタク」の中に問題行動を取る人間が少なからず含まれると。アキバの歩行者天国で傍若無人に振舞うアホとか風呂にも入らんと異臭振りまく奴とかな。そのときオタクコミュニティがどのような行動を取るかというと、「そんなオタクは居ない」と言い張るか(いや、いるって)、「国家によるオタクの弾圧だ」(んなこたーない)とか言い出すわけじゃん。そうでない人間も居るがあくまで少数派。

オタクの問題行動、反社会的行動を批判する=オタク批判と取り違えてる奴ばっかでさ。

「常識あるオタク」が現れて、オタクの反社会的行動を批判してくれりゃそれでいいけどさ、「オタクの敵」というレッテルを貼られるのを怖がって、誰も言わないし言えないわけじゃん。

言ったら言ったでキチガイに粘着されるしな。僕みたいに「ヤクザからヤカられるのに比べりゃ屁みてえなもんですよ」と涼しい顔が出来る人間はそうそう居ないわけで。善良な市民だったら怖くていえねえですよ。

なんとか彼らが「オタク」という言葉やクラスターにアイデンティティを依存せず、社会の一員として自覚を持ち自立した上で「マンガが好き」「アニメが好き」「ゲームが好き」と言えるようになれば良いと、それだけの話すよ。


 世間のおたく差別というヤツが、そういうシンプルな話だったならどんなに良かろうか。
 もし仮に反社会的な行動をしたから「おたく」と言われて差別されたのなら自業自得だし、それは間違った行動だから、直さねばならない。
 しかし現実は違う。何も悪い事をしてないのに「おたく」呼ばわりされるのが普通なのだから。アニメにちょっと興味を持ち始めただけで「あんな気持ち悪いおたくみたいな連中の仲間になるのは止めてくれ」とか「こういう変な趣味の家族がいる事を他の人が知ったら、家族みんな迷惑するでしょう。お願いだから止めて頂戴」と言われることは、よく見られる光景だ*1
 そして、その“親切なご忠告”を聞き入れないとなると、「おたく」と呼ばれて社会ののけ者扱いになるのだ。


 だから、“「オタク」という言葉やクラスターにアイデンティティを依存せず、社会の一員として自覚を持ち自立した上で「マンガが好き」「アニメが好き」「ゲームが好き」と言えるようになれば良い”なんて、絵空事だ。現在の日本社会では、基本的にそんなのあり得ない、と思えてくる。
 幸いなことに、今では「電車男」やアキバブームのために、昔よりはましな世の中になってきたし、周りが理解ある人ばかりなら、その理想も昔よりは実現しやすくなってきた。しかし、飽くまでも「以前よりマシになった」だけに過ぎない。自分はいわゆる「おたく趣味」を持っているにもかかわらず、それを公にすることをためらっている人は今でも非常に多い。


 それでは、いわゆる「おたく趣味」を捨てればいいかというと、そうとは言い切れない。たとえ「おたく趣味」を持っていなくとも、美貌に恵まれない人、ファッションセンスに乏しい人、無口な人、ガリ勉君、ガールフレンドのいないモテナイ君は、それだけで「おたく」と呼ばれる事がある。*2
 そして、そういう人々とちょっとおしゃべりしているだけで「あんな気持ち悪いおたくと付き合うのはお願いだから止めてくれ、そんなおたくと仲が良い奴の友達だと思われるなんて、俺、絶対嫌だからね!」となる。もちろん、その“有り難い忠告”を聞き入れなければ、今度は自分がおたく扱いされて、その友人とも縁を切られる。これが人生の現実である。

おたく=のけ者集団

 人からのけ者にされるというのは、誰にとっても不愉快なものである。自分をあからさまに無視したり、しつこく悪口を言ったり、暴力を振るったりするような連中に囲まれるというのは、神経をすり減らすものだ。自分が悪いのなら改善のしようがあるが、そうでない場合は、どうにもやりきれないものである。そして、それが続くなら、人間不信に陥ったり、始終「何か自分の事を悪く言われているのではないか」と気を回すようになったり、とにかく毎日いやな思いをする事になる。
 そんな時、もし自分と同じようにのけ者にされた人が近くにいたなら、どうだろう。同じ境遇の人同士、理解し合える相手になるかもしれない。その人だけは自分をのけ者にしないと感じて安心するかもしれない。こうやって、のけ者にされた人同士が集まれば心強いと感じるものだ。確かに、のけ者集団は周りから蔑視されているかもしれない。しかし、自分をのけ者にした連中たちと無理して付き合うよりも、はるかに安心できるものである。
 これが、「おたくは群れる」と言われる理由である。中には、彼らに「脱オタしろ」とか「普通に彼女くらい作ってみろ」などとご親切な提案をしてくれる人もいるが、自分たちをのけ者にした一般社会への不信感は、一朝一夕でぬぐえるほど生やさしいものではない。


 私が思うに、おたく集団を直感的に「気持ち悪い」と思う人が多いのは、自分たちが蔑視し、のけ者にしてきたような人たちが、集団でぶぁぁぁぁあっているからだろう。そして、そののけ者集団が、自分たちが普段見ない笑顔で仲間達と楽しく話し合っている様子が、何とも気に食わないのだろう。
 しかし、ここで疑問が生じる。そうやっておたくを蔑視したりのけ者にしたりする事は、果たして正しい事なのだろうか。

「相手が悪い」は相手を虐待するきっかけ作り

 昨日も書いたが、これはちょうど、小学生がクラスの中で気の弱い子を「バイキン」と呼んでみんなでいじめたり、いじめを止めさせたりかばったりする人もそのいじめられっ子の仲間扱いしていじめたり、そういうのと根本は同じである。
 いじめられっ子がいじめられるのは、その子が何か悪い事をしたからだろうか。大抵は、そうでない事が多い。美貌に恵まれないのは悪いことだろうか? 流行遅れの服を着てくるのは? 人と比べて無口なのは? ガリ勉君なのは? 彼氏や彼女がいないのは? それが、無視されたりいじめられたりするに値する程、本当に悪いことなのだろうか?
 そんな事はない。なぜなら、それらは自分の快楽を正当化するための子供染みた言い訳、責任転嫁に過ぎないからだ。花瓶を割った時に「ここに花瓶があるのがいけない」とか下手な言い訳を考えるのと変わりゃしない。いや、いじめの方が生身の人間を傷付けているだけ、余計に罪が重い。相手に罪悪感を植え付けて自分の意のままに支配するための手段として使われる事も少なくない。
 大人の世界にも似たような例がある。嫁いびりとか配偶者への暴力、児童虐待などの家庭内暴力がいい例だ。家庭内暴力の加害者は、自分が悪い事をしているという意識は無い。とにかく「相手が悪いから」という理屈を付けて、殴ったり、悪口を言ったり、その他口にすることすらおぞましい程の酷い事を、平気でやってのける。ほとんどの場合、本当に相手が悪いわけではなくて、相手を虐待するきっかけとして利用しているだけなのだ。
 中には、「いじめられたくないなら、いじめられないように努力しろよ」と言う人がいるが、この言葉はしばしば自分の暴力を正当化する言い訳として悪用される文句である。
 おたく差別も、学校のいじめも、家庭内暴力も、「自己中心的で、無責任で、下品な快楽」という言葉がぴったりである。「存在自体がむかつくから」という理由にもならない理由をでっち上げて、自分は相手をいじめる事で快感を覚え、そして責任は相手に押しつける。相手が自分に刃向かわないよう、相手に罪悪感を植え付けて巧妙にマインドコントロールする事すらある。

全ての非難が不当なものとは限らない

 もちろん、おたくに対する批判そのものは、必ずしも悪い事ではない。一部、本当の意味で問題行動を起こしている人もいるのは事実だし、私もそこまで弁護するつもりは無い。私自身も「こういう事は問題ではないか」と問題提起する事が時々ある。こういう正当な非難と、先に挙げたような不当な差別とは、きちんと分けて考えるべきである。
 どこからどこまでが正当な非難で、どこからどこまでが不当な差別なのだろう。犯罪など問題行動を起こしたがゆえに社会ののけ者にするというのなら、話はわかる。しかし、「あいつははのけ者集団にいるから」という理由で、ある人をのけ者にするのなら、それは理屈になっていない*3
 それから、おたくは集団としての責任を担うべきかどうか、という問題もある。これはいろんな意見があると思うし、私もはっきりした結論は出ていない。皆さんへの宿題として取っておくことにする。少なくとも今の時点で言えるのは、おたくであろうとなかろうと、善を擁護し悪を認めない事、そしてそれをはっきり示すことでないかと思う。

解決策は「相互理解」と「改善」

 “「オタク」という言葉やクラスターにアイデンティティを依存せず、社会の一員として自覚を持ち自立した上で「マンガが好き」「アニメが好き」「ゲームが好き」と言えるようになれば良い”なんて時代。これは私が十数年もの間抱き続けてきた理想と同じものである。しかし、そんな時代は、この先やって来るのだろうか。
 その鍵は、一般人とおたくの双方が互いに歩み寄る事ではないかと私は考える。


 まず、一般人は、マスコミが作り上げたおたく像は横に置いといて、本物のおたくと知り合って、それもできるだけいろんなタイプの人と接して、「一口におたくと言っても、いろんな奴がいるんだな」ということを知って欲しい。男性のおたくばかりがテレビで取り上げられがちだが、女性のおたくの世界もまた違って興味深いので、是非知って欲しい。良い面もわかってくるだろうし、逆に問題点も見つかるかもしれない。でも、単なる伝聞による情報だけを鵜呑みにして疑心暗鬼に陥るのではなくて、自分の目で確かめて欲しい。
 それに、人によって違うが、おたくと呼ばれる人の中には、人間不信に陥っていたり、社会を恨んだり、たまに性格がねじ曲がってしまったり、そんな人を見る事もあるかもしれないが、学校で不当な理由で仲間外れにされた経験など、不幸な身の上が原因の一つである事も多い。だからと言って、この状況を100%肯定するつもりはないが、こういう背景を考慮して、情状酌量してやって欲しい。


 そしておたくにとっての課題は、一般人に感情移入する事ではないかと思う。漫画やアニメ等が好きな人は、この際、得意分野をこういう方法でうまく活かして欲しい。もちろん、私の足りない分野かもしれないし、私の努力目標でもある。
 一般人はおたくを非難する事がある。しかし、それにただ機械的に反撥するだけで、果たして理解は得られるだろうか。「何か全然人の話を聞いてくれなくて、おたくって、これだから困る」という反応が返ってくる事は珍しくない。それは、その反論の内容そのものがまずかったのではない。原因は、相手の理解が「足りぬ足りぬは工夫が足りぬ」。つまり、同じ反論するなら反論するで、方法というものが色々あるが、特に心理作戦が全然工夫されてなかったのである。
 特に、一般人はおたくの世界を知らないゆえに誤解していて、その誤解を元に非難しているだけの事がある。そんな時、「それは誤解だよ、実際にはこれこれが正しい」と反論するのは、まあ誰でも思い付きそうな反論方法である。しかし、この方法には大きな欠陥がある。一般人は友達や権威者やマスコミの言う事はすぐ信じるが、おたくの言う事は最初は疑う傾向がある。だから、自分の口でいくら説明しても、全然信じてもらえない、なんて悩む人は多いかもしれない。実際私もそうだった。
 どうすればいいかというと、相手の不安をまずは認めてあげた上で安心させること。たとえばコンピュータを一度も触った事の無い頑固親父に「パソコンをインターネットなんかにつないだら、コンピュータウイルスが勝手に送られてくるというじゃないか。そんな危ないものを使うのかね」と言われた時、どう答えるだろうか。「いや、そんな事はない。安全だ。自分のパソコンにはウイルスが来ないよう設定してある」と反論するだろうか。確かに内容としては正しいが、「人がせっかく親切に忠告してるのに、無視しやがって、そうやってヘラヘラ安心してるこの態度が一番危険だ」と怒られるくらいが関の山だ。
 何がいけなかったか。それは、相手の不安を解消したことになってないのと、相手が信頼している情報源(つまり相手が信頼しても良いと認めている人間や出版物、それから実物と写真)から情報を提供しなかったことである。
 まずは問題を正直に認めることと、相手の不安を認めること。「そうだよね、そういう危険があるから、注意するよう会社(学校)でもよく言われてるよ」と切り出すのが模範解答かもしれない。こうやって「自分の不安が相手にも伝わった」と安心した上でないと、どんなに正確な情報を突っ込んでも受け取ってさえくれない。*4
 次に、こういう状況の時は、間違ってもインターネットの個人サイトとか2ちゃんねる(はおろか、相手によっては定評のおける企業サイトや省庁サイトさえ!)を情報源として使ってはいけない。可能な限り、ちゃんと書籍や雑誌という形になっている伝統的なメディアを情報源として見せるか、場合によっては実際にパソコン上でアンチウイルスソフトの画面を見せるとか、ルータの実物を見せるとかして、実物を見せながら説明した方がよい。


 もう一つの課題は「心の成長」。人は世間からのけ者にされてきた人をあるいは同情する事があるかもしれない。しかし、たとえそういう慈悲の精神を示せる人であったとしても、当人がその自らの体験ゆえに性格がねじ曲げられてしまっていたとしたら、事務的な付き合いならまだしも、兄弟のように親しい友達となると躊躇するかもしれない。ここらへんの事情も汲み取って、ねじ曲げられた心を矯正すべく精神修養する事。こればかりは一朝一夕に出来る事ではないが、とにかくこれも大切な事である。この点、自分を理解してくれる一般人の知り合いがいるなら、そういう人との交流が助けになるかもしれないし、そういう付き合いも大切にしたい。


 もっとも、おたくと一般人を隔てる垣根が100%完全に取り払われる事までは期待できない事は、念頭に置いておくべきだろう。釈迦やキリストのように偉人とみなされる人でさえ、周囲のすべての人を説得できたわけではないし、100%誰もと友達になれたわけでもない。偉人ではない私たちはなおさらである。しかし、その他の人に対するイメージアップを図れば、世界は変わる。その努力はしてみる価値があるだろう。

*1:そして、そのアニメの主人公が少女であろうものなら、「そういう趣味の連中は小児愛者ばかりだし、そんな危険人物になる一歩手前の危ない趣味だ。止めないと縁を切るぞ」となる。たとえ健全な内容の作品を下心なく健全に楽しんでいても、である。

*2:これらは、「おたく」という言葉の当初の意味にも含まれていた。「おたく」という言葉を発明した中森明夫は、アニメ等のマニアにこのようなタイプの人をよく見かけることを揶揄し、こういう雰囲気の若者の事を総称して「おたく」と呼ぶようになった。

*3:これは循環論法と呼ばれる。

*4:オレオレ詐欺がいい例だが、人間の心理とは不思議なもので、人はパニックに陥っている時、正確な情報を伝えればすぐパニックが解消されるかというと、むしろ逆に疑念がもっと深まることさえある。銀行員が「それは詐欺ですよ」と言ってもなかなか信用してくれない人が多いらしい。息子に電話をかけさせたり、とりあえず札束を渡して安心させた上でないと、詐欺だという事実を受け入れてくれないという。