“クラスメートにとって「悪い子」”だった私


http://a-pure-heart.cocolog-nifty.com/2_0/2006/01/__2250.html


 同じブログには、こんな興味深い記事も載っていた。
 これは私も子供の頃から感じていたことである。私も好きこのんで同年輩のクラスメートの嫌われ者になろうとしたわけではないけれど、どちらを重視していたかというと、クラスメートと仲良くなるよりも、親や教師と仲良くなる方を優先していたものだ。
 もちろん、だからと言って親や教師が自分の味方になってくれると考えるのは期待し過ぎというもので、詳しい事は割愛するが、今思うと私の小学時代は教師にあまり恵まれていなかった。それでも、妥協して、いじめっ子グループの腰巾着になるよりは、ずっとマシであった。
 私にとって、仲間外れになる事は全然恐いことではなかったし、悪の道に加わらないために独りぽっちになったり迫害に遭うことは、むしろ名誉だと思っていたふしがある。


 だから、「チクったら後が恐い」とひるむことは決してなかったし、いざという時は大人の権力という“傘”に頼っていたものである。それでいじめが全くなくなりゃしなかったが、今思うと、この行動は自己防衛だったし、思いの外、いじめっ子への牽制になっていただろう。殴る、蹴る、悪口を言われるくらいは日常茶飯であっても、カツアゲされたり、いじめっ子グループにマインドコントロールされたまま悲惨な奴隷生活を送ったり、挙げ句の果てには学校を休まなくては発狂してしまう程精神的に追い詰められるまでには至らなかったのは、不幸中の幸いだった。


 そんな私も中学を卒業し、多様な個性を認めることのできる大人の感性を持ったクラスメートに囲まれるようになってから、大人の権力という“傘”に頼る必要を感じなくなってきた。否、今度は大人までもが私の敵に回ってしまい、今度は基本的に独りで戦わなくてはならない羽目になった。なぜかって、

あと、「オタク」は「親・教師」にはなんの影響もなさそうだけど、「クラスメート」にはマイナスの影響がある

というのは今の話であって、当時は両方にとってマイナス×3、しかも両方をコンボで食らうと足し算ではなく掛け算でマイナス×9(残念ながら符号までは反転してくれない)くらいの影響があった時代なのだから。そんな時、同年輩のおたく友達はいかに心強かったことか。
 思えばこの時が、私の人生の転換点だったと言っても過言ではないような気がする。