おたくを「きもい」と書いたブログはまだ可愛い

「オタ」「きもい」──スタッフのブログ発言、企業を巻き込む騒動に (ITmedia)

コミケでhotdogを売ったホクロが客をオタと呼びキモイとblogにかいた (まとめサイト)

 あるホットドッグ屋台の店員が自らのブログで、有明コミケ会場の客を「きもい」等と書いたことが問題となっている。とうとうホットドッグ屋の会社まで巻き込まれて謝罪するまでの騒動となってしまった。

 私はそのブログが閉鎖する前にその事を知り、内容を読んだのだが、「まあ、よくある意見だ」とあまり怒りもしなかった。今年の夏は仕事の都合で行かれなかったが、そうでなければ私も「ぶぁぁぁぁあっている」「大量オタ」の一人としてそこに来ていて、何も知らずにその屋台でホットドッグを買っていたり、ともすると写真の端っこの方に写っていたかもしれないというのに。「恐い!きもい!」の一文を初めて見た時は、正直言ってちょっとムカッと来たけど、まあ私としては「一般人はそういう反応でも仕方ねえなぁ」と笑って許せる範囲だと感じた。

 なぜそんなに怒ってないかって? お前はアキバ系を自称するくらいならもっと怒るべきだって? でも、問題のブログをよく読むがいい。本当におたくが大嫌いだったら、「ぶぁぁぁぁあっている」おたく相手の仕事なんて、もう途中で投げ出したいくらい、もう二度とやりたくないくらい嫌な仕事になるに決まっている。しかし、当人は仕事の感想として、「楽しかったねぇ〜ん☆」とか「過酷だったけど楽しかった☆」と書いているのだ。もっとも、楽しかったというのは、仲間と一緒に楽しく仕事が出来たことを指していて、客対応のことではないだろうけれど、それでも当人が本当におたくを憎悪しているのなら、そんな楽しさなど一発で吹き飛んでしまうほど嫌な経験になるだろう。

 それに、文面から推測する限りにおいては、当人もおたくの世界の何たるかを全く知らないというわけでもなさそうだ。「コミックマーケット」は「コミケ」と略されていることを知っていて、その略称で呼んでいるし、「もえるるぶ」という本が出ていることもブログに書いている。一般人で「コミケ」という名称を知っている人や「もえるるぶ」の存在を知っている人はそう多くない。

 これらの事から私が思うに、恐らく当人は、本当の意味でおたくを憎悪しているのではなく、冗談半分というか、からかい半分というか、そういう軽い気持ちで書いたに過ぎないのだろう。捉えようによっては、綾小路きみまろがおばさんを冗談のネタにしたり、ギター侍こと波田陽区が有名人を“斬ったり”するのと同じようなものと看做せるかもしれない。確かに、コミケ参加者には少々失礼かもしれないブラックジョークとは言え、まあ、そう目くじら立てて怒るほどのものでもなかろう。

 とは言え、そういう冗談も、やり方が大変まずかった。ブログに自分の働いている会社の事を書く時には、ふとした内容で会社の評判を損ねてしまう事があるので十分気を付けねばならないが、その配慮が足りなかった。この意味で、私もこのブログの内容をとても擁護などできないので、誤解無きよう付け加えておく。

 また、私は「そうやって言われてもブラックジョークだと笑い飛ばしてやれ」という意図で上の内容を書いたに過ぎず、この種のブラックジョークを推奨するために書いたのではないので、一応警告しておく。計算無しのブラックジョーク、フォロー無しのブラックジョーク、それは「嫌がらせ」「いじめ」と言うものだ。よそのおたく系掲示板にいきなり押しかけて、突然何を言い出したかと思うと「おたくキモい」と書く人を時々見かけるが、それは単なる嫌がらせだ。「このサイトにも冗談で『おたくキモい』と書くのは良いと書いてあったから」なんて勘違いな言い訳も勘弁して欲しい。私はこういう行動を「良い」なんて一言も言ってない。念のために釘を刺しておく。

 さて、本当におたくを憎悪している人なら、「きもい」ではなく何と言うか。「日本の恥」「あんなの見てたら目が腐る」「いっぺん死んだ方がいい」「人間として終わってる」「彼らはいっそ生まれて来なかった方がよかった」「あの会場が火事になって全員焼豚になってくれたらどんなにせいせいするだろう、それも世の為人の為」とか、それくらい当たり前のように言うもので、しかも「これは自分の正直な感想であって、何も悪い事は言ってないつもりだ」と付け加えるものだ。平成一桁時代にそんな文句をかつて嫌と言うほど聞いて聞いて聞き飽きた私だからこそ、例のブログは、まだ何だか可愛い方だと思えてくる。「きもい」程度で済ませてくれるなんて、何て有り難い世の中になったのだろう。「電車男」様々だ。

 最後に付け加えるなら、このブログのような「きもい」という言葉にただ反撥したり、クレームを付けるだけでは、世の中のおたくに対する印象なんてちっとも変わりゃしない。確かに偏見は憎いとしても、自分はその偏見を無意識に増幅していないか、自分にも改善できる分野はないかと考えてみるとよい。そんなに「きもい」と言われるのが嫌なら、自らの行動をもって、きもくないと思わせりゃいい。あるいは、何かしら一般人も認めるような分野で通常の三倍努力して、見返してやるがいい。もちろん仏陀やキリストのように偉人とされる人でさえ周囲の人を全員納得させるのは無理だったのだから、我々には余計そうであり、「それでも認めない」人は必ず一部にいることを知っておかねばならないが、その他の人の印象は向上するかもしれない。