きっぱり「ノー」を言うことに慣れよう

 今朝、家に青い作業服姿の若いセールスマンがやってきた。「おたくのトイレファン、古くなっているみたいなので交換しませんか」と言ってきた。

 トイレファンの交換を薦める悪徳商法が流行っているとは聞くが、このセールスが別に悪徳商法だと決め付けるわけではない。しかし、ちゃんと正常に動作しているものを捨てて、金を出して新しいものに交換するなんて、勿体ない話だ。仮に交換するとしたって、業者に頼むほどの手間じゃなく、自分で簡単に交換できる。

 「いいえ、最近買ったばかりですけど」と答えた。確かに数ヶ月前にホームセンターで新品を買って取り付けたばかりなので、嘘ではない。嘘をついているのはセールスマンの方だ。

 しかしセールスマンにも次の手がある。「パイプを支持する金具が付いていないようなので、交換しませんか」と来た。これだって、業者に工賃を出して交換してもらうほどのものではない。そういう金具も自分で取り付ければ良いだろうし、極端な話、裏庭から竹を切ってきて自作したっていいくらいだ。

 「そうですか。それくらいなら自分でやりますから」と即座に答えると、セールスマンは私にさらさら買う気がないことを察知したのか、帰っていってしまった。

 思えば私も、セールスマンにきっぱり「ノー」を言うことにだいぶ慣れてきたものだ、という事に気付いた。私は、セールスマンの訪問販売がいかに大変なものなのか、半端に知ってしまっているせいか、最初のうちは、断りたくとも、セールスマンへの同情の気持ちから、はっきり「ノー」を言うことが、とても億劫(おっくう)だった。

 しかし、「ノー」を言う事は、場数をこなせばだんだん慣れていく。セールスマンの薦める商品を断るのも、怪しい先物取引や融資や「電話料金がお得になるサービス」の勧誘電話を断るのも、免許センターで交通安全協会の会費支払を断るのも、車を運転している日に酒を断るのも、そして自分に気がないのにアタックしてくる片想いの子を断ることも。そんな時、「ノー」を言う事なんて悪い事じゃない。あえて言うなら、はっきりとした態度を取らない事の方がむしろ相手に気を持たせて悪い事であり、余計に失礼な態度だ。早めに「ノー」を表明して、相手に早めに潔くあきらめてもらう事こそ礼儀である。それに、「ノー」と言う事、イコール、必ずしも相手を敵に回す事ではなく、相手の知りたがっている自分の考えを白黒はっきり伝える事に過ぎない。最初はやっぱり勇気がいるけれど、何度も場数をこなしながら自分に自信を付けていこう。相手の要求に「異議あり!」とばかりに、さわやかに「ノー」と言う快感、すっきりするものだ。これを知ってしまったら、もう後には戻れない。

 最後に、もちろん、自分と縁のない飛び込み営業の類ならいいけど、自分と縁のある人の場合は、「ノー」と言いながらも簡単なフォローも忘れずに。