“健全系おたくよ、もつと友達を選べよ、エロ系おたくと絶縁せよ”

 以前にも書いたが、此頃は「おたく文化」のうち、エロ要素を絡めた分野ばかり特に強調されて紹介される傾向が見受けられるのが非常に心配である。「おたくとは即(すなは)ちエロゲーとエロ同人誌に萌える事なり、それらに手を出さぬ者はおたくに非ず」と云はんばかりの風潮だ。

 「秋葉原にアニメ・同人誌ショップやゲームショップやメイド喫茶が増えて居る」のは嘆かはしい、そんな店など潰れちまへ、昔の電氣街としての秋葉原を我らに返せ、と主張してゐるのは、アニメも同人誌も興味ないパソコンおたくや電子工作おたくや無線おたくだつたりする。無論、彼らはおたくであれども、エロはおろか、萌えすら根つから無關係である。私はと云ふと、健全系のみといふ條件付でアニメも漫畫も同人誌も樂しんで居るから、秋葉原のアニメショップの存在自體は有り難いし、其處まで極端な主張はしない。しかし一つ言へる事として、「おたくとは(すなは)ちエロなり」ばかり極端に強調するやうな風潮は、先に擧げたパソコンおたくやら無線おたくやらのうち、健全系専門に樂しんで居る者にとつては迷惑千萬である。「あなたは彼らとは違ふと言ふけど、でも要するに同じおたくでせう、それなら童女が題材のいかがはしいアニメや漫畫に熱中して居る變態共の仲間と云ふことでせう」と勝手に決め附けられて仕舞ふと云ふことである。

 此處には、學校のやうないぢめの構圖が有るやうに思はれる。結論から先に言ふなら、さういふ健全系おたくとは、“直接關係ないが、いぢめられつ子をいぢめないので、仲間扱ひされていぢめられて居る子”のやうなものである。言ふまでも無いことだが、エロ系のおたくの中には、パソコンなど他のそれ自體は健全な趣味のマニアも兼ねて居る例が少なくない。そして、エロ系の話題は距離を置くけれども、パソコン關聯なら話に加はると云ふ健全系おたくも多いだらう。さうでなくとも、彼らを無視しても非難まではしない人も多いだらう。すると世間は「それ見ろ、やつぱり變態共の仲間ぢやないか」と看做すと云ふ譯だ。

 無論、此の場合はいぢめとは云つても、童女が題材のエロ作品のマニアは非常に分が惡いし、身から出た錆かもしれぬ。かうなると、もし健全系おたくが敢へて「彼らと一緒にしないで呉れ」と云ふのなら、取るべき道は一つだらう。「彼らと一緒でない」ことを行動で示す事である。世間の石頭共には論も證據もてんで通用しない。論より證據より實績作りである。勿論此れは容易でない。しかし「彼らと一緒でない」ことをアピールする事は今後更に重要になるのではないかと私自身は思ひ始めて居る。

 今は消滅してしまつたが、かつて「白色りぼんの會」と云ふ名前の健全系少女漫畫作家の同盟サイトが有り、静かな多數派(サイレント・マジョリティ)である健全系カテゴリの、インターネットでの知名度向上にかなりの効果を上げた。同じやうな運動は、もしかしたら今こそ必要なのかも知れないと思ふ今日此頃である。