「冬ソナ叩き」ができるのも韓流ブームのおかげです

 裴勇俊(ペ・ヨンジュン)が好きか嫌いかを見分ける一番わかりやすい方法がある。「ヨン様」と呼ぶのが、大好きな人、「ペ・ヨンジュン」と呼ぶのが、普通の人、「ペ様」とか「ペ」と呼び捨てにするのが、大嫌いな人である(「ペ」という名字をからかってる人を見るたびに、「少年アシベ」の登場人物である「ペッペッペ・ソーラン・アレマ」という名前を思い出すのは私だけだろうか)。

 さて、皆さんご存知の通り今は韓国ブームである。ここ数年の間で韓国文化が多くの人に好意的に受け入れられるようになっていった一方、このような風潮を好ましく思っていない人々も一部にいる。「冬ソナにハマってるおばちゃん」を奇異の目で見たり、「韓流ブームは電通の陰謀」「マスコミが報道しているほど韓国ドラマは全く流行っていない」などという噂が流れていたりする(私の観察している限り、後者は嘘の可能性が高いと断言する)。「韓国の悪い面を隠して、まるで良い国のように美化している」という意見もある。

 しかしあえて言わせてもらおう、現在こうやって韓流ブーム叩きが堂々とできるのも、韓流ブームのおかげであると。もはや「韓国ドラマ?何じゃそりゃ?」という時代ではなく、猫も杓子もヨン様の名前くらい知ってるほど有名になったからこそ、ヨン様は「ペ」とからかわれながら有名税として叩かれるようになった。

 そして今は以前と比べると、韓国に堂々と本音を言いやすい世の中になってきたからこそ、韓流ブーム叩きも堂々と出来るというものだ。政治的に保守的な思想が広まった事や、北朝鮮拉致問題がきっかけで朝鮮人にノーを言うことがタブーとされなくなってきたこともそうだが、韓国の経済力と文化レベルの向上が韓国映画や韓国ドラマを通してわかっていった現在、もはや哀れみと同情や義理ではなく対等な立場で韓国文化を評価できるようになった。かつては、たとえば学校での韓国文化交流会等によって韓国人やその文化を受け入れる事があっても、まるで24時間テレビ的というのか、半分は義理のようなもの、どこかに「韓国は可哀想な国」という同情があったように思うことを考えると、隔世の感だ。

 先に挙げた、「韓国の悪い面を隠して、まるで良い国のように美化している」という意見だが、確かに一部マスコミにそういう傾向があるように思える。しかし、だからと言って「坊主憎けりゃ袈裟まで怖い」的、盲目的な韓流バッシングへの暴走は、もう止めにしようではないか。はっきり言おう、彼らは日本国旗や小泉人形を燃やしてケラケラ笑っている反日韓国人と同じ穴のムジナだ。「韓流ブームで親韓反日思想が広まると困る」とヒステリックに叫ぶ日本人たちが、もしも韓国に生まれていたなら、きっと「日本ブームで親日反韓思想が広まると困る」と同じように叫んでいたに違いない。

 なるほど、悪い面を臆せず指摘することは重要であるし、マスコミも変に隠し立てせずにきちんと報道して欲しいと願う。しかし同時に、良い面も(もちろん無理なお世辞にならない程度に)どんどん見付けて誉めるべきだ。かつての日本は韓国の悪い面を指摘するのは何か悪い事と思ってしりごみしていたが、それでは逆に韓国の良い面とか魅力とかが日本に紹介されることがどれだけあったろう。せいぜいキムチとか韓国旅行とかが申し分程度に紹介されるくらいではなかったか。

 確かに一部の人が言うように、きっかけとしては「韓流ブームは作られたブーム」かもしれない。しかし、たとえ最初は作られたブームであっても良い。電通だかNHKだか知らないが、火付け役がいたからこそ、多くの日本人が韓国文化の魅力に目醒めたのだ。そして韓流ブームは、同情から韓国とお付き合いする時代の終焉と、韓国に堂々と本音を言って評価できる時代の到来という良い結果を刈り取りつつある。