サポート依存症 (前編)

(この作品はフィクションであり、登場する人名・団体・出来事等は全て架空のものです。)

 あれは思えば去年の冬も終わり頃のことだった。久しぶりに帰ってきた実家は、見るからに異様な雰囲気が漂っていた。

 「入って安心 パソコン隣組(となりぐみ)」「パソコンのわからないを徹底サポート」高倉健に似たオヤジがキーボードとマウスを持ってニコニコ笑っているポスターが、玄関にも家の中にもあちこち貼られていた。「親父、このポスターどうしたんだよ」俺が尋ねると、父は待ってましたとばかりに説明を始めた。

 「今はな、IT革命の時代で、会社でも商店でも家庭でもどんどんパソコンが入っている。日本人ならパソコンの一つ使えなくちゃ恥ずかしいって時代だ。しかしな、昭和十五年生まれの俺みたいな世代は、とにかくキーボードなんて見るだけで抵抗がある。キーボードの打ち方くらいなら、昔も英文タイプくらいあったくらいだし、覚えりゃ何とかなるもんだ。」

 説明より何より、正に“立て板に水”だった。普段無口な父が、こんなに饒舌(じょうぜつ)なところを、生まれて初めて見た気がした。「だが、パソコンとなるとそう一筋縄にはいかない。パソコンの無限の可能性を使いこなすには、無限の知識が必要だが、俺は若者と違って言われたことをすぐ覚えられるような人間ではない。」

 「あのなあ親父、パソコンの無限の可能性を使いこなすなんて考える方が無茶なんだよ。必要なところから覚える、それでいいじゃないか。」父は俺の言葉をなかったかのように話を続ける。「でも無限の可能性ってロマンがあるじゃないか、ええ。でもやっぱり、困った事があった時に気軽に相談出来るところがあれば、パソコンも安心して覚えられるだろう。この“パソコン隣組”ってのは“教えられたり教えたり”をモットーとしていて、困った事があったら気軽に電話で、電話でもダメなら出張サポートしてくれるんだ。」

 「そりゃ便利だ」俺は思った。俺の会社の上司は、パソコン会社もソフト会社も、サポート電話が話し中ばかりでなかなかつながらないと愚痴をこぼしている。結局、パソコンに詳しい俺が休日返上で上司の家まで行って面倒を見ることになってしまうのだ。そのたびに上司は「休日というのにいつもいつも君を呼び出してばっかりで悪いなァ」と言いながら、寿司屋に電話をかけて特上寿司を出前してくれる。ポケットマネーでは一度も食べたことのない、とろけるような本物のトロをパクつきながら、ラッキー!という気持ちと、かえってこっちの方が悪いと思ってしまう気持ちが心の中で複雑にからみ合うのだった。「で、その隣組とかいうのは一回いくらでサポートしてくれるの?」

 「場合によるけど、一単位八千円だ。現金でもいいし、十一枚綴りの回数券でもいい。で、電話なら、一つの問題につき最低〇・五単位から。出張だと、たとえば簡単なソフトのインストールなら一単位。インターネットを使えるように設定してくれるのが四単位。」三万二千円も取られるのか。「高ッ! これは出張費込みなのか?」「出張費は別途だ。ここまで聞くとさぞかし高いと思うだろう。でもこちらが金を払ってサービスを受けるばかりでないのがこのビジネスの良いところなんだ。こんなに良いサービス、自分だけのものにするのは勿体ないだろう。是非日本中、いや世界中の人にこのビジネスを広めて、そして愛の輪を広げていきたい。」

 親父にしては随分歯の浮くような言葉だ。それから父の話は延々と続いた。はっきりとは覚えていないが、まとめてみるとこんな話だった。“パソコン隣組”の会員を一人紹介すると、本部から紹介料がもらえる。それに、“教えられたり教えたり”がモットーだから、自分がお金を払ってパソコンの使い方を他の会員から教えてもらうばかりではなくて、パソコンの使い方を覚えてきた会員が他の会員にパソコンを教えることができて、そうするとサポート料金の何割かもらえる。それから、“パソコン隣組”ではオリジナルパソコンやオリジナルソフトもあって、それを他の会員に売った売上のうち何割かがもらえる。また、自分の紹介した“子会員”が商品を売ったりサポートしたりすると、その売り上げの何割かがバックマージンとして支払われるという寸法だ。

 なるほど、パソコンの電話サポートや出張サポートというのも、今まさに必要とされている分野だ。俺は今の会社があるからそれでいいけど、もし他の仕事に就くとしたら、これも悪くはない。ただ、一単位八千円に出張費で本当に客が付くのだろう。それにしても親父は昔から変わった商売ばっかりやってはすぐ止めるの繰り返しばかりだ。健康食品だとか、二十四時間風呂だとか、浄水器だとか。最近は“インターネットを超えるFAX”とかいうのをやってたけど、そのFAX掲示板も大して実用にはならずに突然サポート終了してしまい、一台三十万円くらいする在庫が押入に四、五台眠っている。おふくろも「時間と金の無駄」とか言って本当に迷惑がっているけど、親父も新しい商売の話となると、もう後先見ず盲目(めくら)になって飛びついてしまうし、あの熱意には、もう止める気力もなくなってしまうそうだ。

 「今日の夜七時からパソコン隣組の集まりが市民会館であるから、お前も行ってみないか。やるやらないは別として、とりあえず話だけでもさ、いい話だから。」父がそういった瞬間、台所で人参の皮をむいていた母が俺の方を向いてしかめっ面をした。“また変な商売の話だ、親父に関わり合うな”とでも言いたげだった。しかしその時の俺には、その母の忠告よりも、これがどんな商売なのかについての好奇心の方が大きかった。もちろん、それをやる気はなかったのだが、パソコンは好きだし、母の嫌っている父のビジネスとやらの集まりを見に行くのは、二十歳を過ぎた今回が初めてだった。結局俺は父の車に乗っていくことになった。それがとんでもない「虎穴」であることを知らずに……。

 (中編へと続く*1

*1:続きませんでした